ガラの悪さ 考

倉敷はガラが悪いけど,児島はもっと悪い。
でも下津井はさらに輪をかけて悪い。
以前こう言われたことがあります。

下津井も児島も倉敷もよく知ってる自分としては,
なるほど,確かにそうだと思う節がある。
倉敷は児島を足蹴にし,児島は下津井を嫌う。下津井はというと,
もう超越していて,開き直っている。
町に信号機はなく,ノーヘルで原チャリを走らせている中学生がいるかと思うと,今日先生に,自転車に乗るときはヘルメットを被れと言われたと報告する子供に対して、ヘルメットを買う金なんかないって先生に言っとけ,と叱りつける親がいるほどだ。さらに言うと,隣のおばちゃんはアル中だったし,近所のおじさんはシャブ中だった。

その昔,明治22年に国に15円以上税金を納めると選挙権が与えられたが、
そのときの統計をこんなサイトを参考にしてみると,
「渡邉資料館」http://www1.harenet.ne.jp/~wawa
選挙権を持つ人は,倉敷51人に対して、児島は192人のようです。
およそ、4倍の人数。今日でも知られている人としては,
塩田王の野崎さんは,納税額5817円で、倉敷紡績、倉敷レイヨンなどの大原さんは1539円でした。
今日への影響としては,大原さんに軍配が上がりますが,町の繁栄としては,
児島が上のようです。
下津井は,17世紀初めには城が築かれ、17世紀の末に港が大改修されました。18世紀からは,北前船が寄港するようになり、年間50から60隻の北前船が帰港する瀬戸内海の重要港として栄えました。
大正初めの生まれである僕の祖父は、児島のことを「田舎」という意味で,
「在」と呼んでいました。
その下津井も時代の移り変わりにより、次第に児島に取って代わられ,
40年前の昭和の大合併で小都市倉敷と合併させられた大都市児島は
40年経った今は,人口が8万人を切り、76,000人のようです。。
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/toukei/tukibetu/pdf/20/m2010.pdf
この間,児島の人があの合併は失敗だったと嘆いていました。どこかの町のように独立を貫けばよかった、と。

倉敷はガラが悪いけど,児島はもっと悪い。
でも下津井はさらに輪をかけて悪い。

この言葉、よく考えてみると,町の繁栄により多くの人が集まっていろんな層の人がすんでいるけど,新興してくる町にとっては古い町が脅威だろうし,
よいものも悪いものも併せ持ったものが町なんだから,ガラが悪い、と言われても仕方ない。もっといえば、町が衰退してくると,悪い雰囲気が培養されてしまってコクコクなってしまって、やっぱりあの町はガラが悪い,となってしまわないだろうか。

(ガラの悪さ)=(町の繁栄)×(凋落の時間)
という式も出来やしないか。