児島駅前地区計画にであう。

今日、意味のないネットサーフィン中、倉敷市の都市計画課のホームページに「倉敷市児島味野元浜地区計画」というものを見つけた。味野から元浜の海岸線の先にあった塩田を埋め立てて作られたあの新しい一角についての地区計画だ。ここを読むと、「児島地区の新しい表玄関にふさわしい町づくり」なんて書き出して書かれていて、20年前の夢物語だと言うことがよくわかる。「わかる」どころか、イタイほど伝わってくる。「区域図」をみると、駅の北西は児島市民病院から東へ高密度の住宅、すなわち、高層住宅が建ち並び、西南のあたりは、低層住宅地区がある。その二つに挟まれた地域は、商業地域と近隣商業地域になっている。20年後の現状もそれにならっているが、あまりにもマバラすぎて、都市としての活気や猥雑さもない。
輝かしい未来が描かれていた事実が、二十年後の今日も全世界の前に晒されているこのページは、現実との差があまりにもありすぎて、印象に残った。児島外の人から見ると、児島地区には、下津井、味野、小川、下ノ町、田の口など、小さな市街地がたくさんありすぎて、どこが中心なのか、よくわからないという。それらみんなを、この児島駅前にまとめれば、それなりものができるかもしれないけれど、資本を駅前に注ぎ込むだけの魅力が、結果としてみれば、なかったということになるんだろう。ましてや、児島外からの資本も(義務感にかられたように立地している)天満屋を除けば、無いに等しい。近隣の例で言えば、都市計画で誘導されずに自然に発展した川崎医大周辺の中庄地区くらいの面積だろうが、中庄との差がこれからもどんどん広がっていきそうではある。岡山と倉敷の間の駅の方が児島駅前よりも魅力があるのは、(大規模医療学術施設を差し引いても)致し方ないことかもしれない。
以前ミクシーの児島コミュで書いたけど、岡山県内の都市圏人口順位では、児島地区は、5番目の人口を持つ(岡山県全体では,200万人、下記のリスト参照 )。児島は、西大寺や総社、玉島よりも多い。水島は戦後にできた特殊な地域だからあまり同列に扱えない。そうすると、県内で4番手の地域に上がる。これだけ人がいるんだからと思うこともあるが、面積が広くてバラバラしているだけで、ある意味のんきに暮らしているし、縫製業の関連会社が星の数ほどあるが、今日では商工会議所の中心的会社でさえ倒産するような惨状なのだから、もう児島は終わった、と人々の口から出ても、何の抵抗も感じなくなった。学生服を学生以外の一般の人が着るのが流行になったり、激安ジーンズを穿くことが日本の国益を損ねることだと考える人が妙に増えて児島産ジーンズが日本全国で売れまくるとか、伊勢参りアンド金比羅参りをすることが日本の未来を考える原点になると考えちゃった人が断然増えて、そのおこぼれで由加山に大漁の信心深い人が溢れ帰る、なんて将来が訪れやしないかと、無い物ねだりをしてみる今日であった。

  1. 岡山市中心部が、40万人
  2. 倉敷中心部、18万人
  3. 津山、10万人
  4. 水島、9万人
  5. 児島、7.6万人
  6. 西大寺、6.7万人
  7. 総社、6.6万人
  8. 玉野、6.5万人
  9. 玉島、6.4万人
  10. 笠岡、5.5万人

追記)この間、楢村さんに「仕事があるということと、飯が食えるということは別問題じゃ」と言われた。そのとおり。楢村語録に追加だ。