児島の先輩、ウームの西原兄弟

 今日の朝、すぐ近くに住む姉の家の雨漏りの件で、工務店の方と一緒に訪問したんだが、そのときに、改めて、山口くん、JC(青年会議所)に入らんか。と言われたのです。前々から、誘われてはいたものの、生返事ばかりしていたので、何の感慨もなく、そうですね。と答えておきました。彼曰く、その集団に入ると、先輩方と顔なじみになり、その後の人生に益となるんだ、ということでした。

 JCに入った訳ではないが、Wombという名前の店で、古道具屋の一種のお店をしている西原兄弟と、何年か前からか、知り合いになった。「一種」というのは、普通の道具屋さんではなくて、僕らが古い家をいじって新しい命を吹き込んでいるのと同様に、かれらが、古道具が古道具ではなく、新しい道具として活躍できる舞台を揃える仕事をしているからだった。時計を主体とした「TESTIS」ブランドなどは、その最たるもので、彼らの腕前が存分に現れている。以前は、児島競艇場脇の古い喫茶店の中に入っていたが、最近は、味野商店街の旧富士銀行(兼、旧佐藤眼科)の建物にお店を移していて、スタッフも一人雇っているので、経営者としても先輩に当る。各種方面でも高い評価を得ていて、昨年秋には、イオン倉敷の(ビックジョンがやっている)セレクトショップの棚に商品が並べている。こんな人がわが町児島にいるのかと思うと、素直に誇らしくなる。その西原さん(兄さんの方)が、遅ればせながら、我が事務所に今日来る機会があって、主にこの建物について、話していたのだけど、こんな建物でも、なにかしら感じるところがあるようで、逆に光栄に感じた。正直、JCなんかに入らなくても、十分に仲間は出来そうな感じがしている。

 ところで、下津井の実家は、すでに築100年(明治39年1906年築造)が経っているんだということに、姉の家に行った時に気がついた(正確には、106年)。今住んでいる家は、昭和8年1933年築だから、80年くらいだが、100年とは、結構な時間である。空き家となって、数年経つが、朽ちる前に、手を入れて、誰かに住んでもらいたいものだ。下津井の漁師町にある、芳松ひいじいさんが建てた家。大事にしたい。