銭湯は健在

「しんちゃん、よー、小学校の上のおばさんが、またなんとかいよったでー。」昨日のこと、久しぶりに行った下津井の家の近所のおばさんが私を呼び止めた。
どうやら、いわれの無い文句を山口の孫に伝えてくれと、近所のおばさんは承ったらしい。通りから路地に入るなり、頭の後ろから、大声で「しんちゃん、よー」とは、気持ちがいいものだ。まるで、いつもそこに住んでいるかのように、何の迷いも無い。
数年前から知っているが、どうやらその小学校の上のおばさんがいうには、施設に入っていたはずの祖父が勝手に抜け出し、小学校の上にある畑の上の段のそのおばさんの法面を、祖父がケズッて、悪さをしているということだ、そんなはずはあり得ないのだが、当のおばさんにとっては、一大事で、草刈に出掛けていった当時の私を捕まえて、文句を言って来たのだった。
「ようわからんのですわ。草に隠れとるし、もしかしたら、誰かがしたんかもしれんなあ。まあ、うちのじんさんじゃあないけどな。」
やんわりと否定してから数年後、ヤアさんの元妻を自称するおばさんは、私の実家の近所のおばさんの家まで来て、いまだにちくってきている。一回ではない、二、三回らしい。この毛並みの違う挨拶、田之浦らしくて好きだ。笹だらけになっているあの畑の奥深くに犯行現場はある。
昔は四時からだった近所の銭湯は、五時からになっているという。「しんちゃん、よー」のおばさんからの情報だ。それで、今日熱いお湯を求めて八時頃にいってみたら、案の定、閉まっていた。おそらく、日曜日は休みとか、やっていても、五時から七時までの二時間営業とか、きっとそんなかんじだ。昔は四時から九時までだった。あとでしらべたら、田之浦の銭湯はネット空間に一文字も無く、吹上の銭湯は五時から六時半までの一時間半だけの営業らしい。短時間でも営業するというそのホスピタリティ溢れた振る舞いに感心する。きっとぜんぜん利益はないだろうし、顔なじみのお客さんがかわいそうだから、とか、でも本当はぎゃくに自分のためであって、人との繋がりが損なわれるのが悲しいからとか、もしくは、自分の台で銭湯を潰しては世間体が悪いとか、そんなところだ。年金の使い道は、食費以外は燃料費にしているはずだ。
下津井の昔話を語るのは、駅前商店街の復興を語るのと同義で、宇野高松間のフェリー便の増発を望むのは、シモデンの下津井児島間の復活を願うくらい無謀なことだ。現場主義というのは、現場に行ったから使える言葉ではなくて、現場にしばらく滞在して、現場から見える風景がより美しくなるように、自分もそこの風景になれるように身を投じることから始まると思う。とりあえず銭湯は健在だ。

つくる、のではなく、ある、のである。

再生工事というのは、目の前の古い建物を観察するところから初めて、間取りや高さ断面など外形的なことを抑えた後、最後はこれをつくった人がどんな気持ちでつくったのか、どこに一番力を注いだのか、どこで力を抜いたのか、などなど、つくった人の気持ちを感じ取れるくらいのところまで、目の前の建物に対峙するところから、始まるのであり、そういう風に、現在の姿を知るところから始めるというのが、再生工事の基本である。
そういうことは、ヨーロッパのレンガ造建物の中で生活している人には当たり前の作法であって、何かをつくるとか、変えるとかいう前に、そこに「ある」ものに目を注ぎ、それに少しのスパイス*1を加えたうえで、次の時代に生かしていくという、そういうことを、彼の地の人たちはやってきたのであり、それを日本の民家をベースにして出来ないかと考えたのが、古民家再生工房である。

私は縁あってそういう系譜の中に身を置いているので、そんなことは百も承知なのだが、東大名誉教授の難波先生の手に掛かれば、とても高尚な響きを感じるのであるが、言ってることは、私たちと同じであるばかりではなく、じつは彼の方が後追いである。「2003年に書いた」などと強調しているが、1970年代の後半に難波先生が石井和紘先生の助手として直島に来ていたときに、まだ松本組にいた頃の楢村先生が工務店の設計担当として対応していたのだが、難波さんもその後の楢村さんの活動である古民家再生工房のことはもちろん知っているはずであり、古民家再生工房は2003年どころか、更に十年以上昔からやっているのだから、難波先生は少し謙虚になるべきである。

とはいえ、今の時代にあって、だれが早い/遅いというのは問題ではなくて、所々の考え方や気づきというものは、遡れば、近世近代の時期にその起源は生じているのであるから、ガラスの透明感溢れる建築というのが、哲学者カントの芸術感覚「芸術の中での序列は、何にも囚われない詩が一番上位であり、物質に足枷を嵌められている建築が一番下位である」から来ている、ということや、私が先日の投稿記事中で、「住宅の造り方がわからない、というのはまずいのである」と書いたことと、同じことを産業革命時代のジョン・ラスキンという人が『建築の七橙』という本の中で「釘の頭をどうやってつくるのか、今の時代の人は知らないがそれは大問題である」などと述べているのであるから、つまりは、私たちは産業革命以後の世界の枠組みの中で、幾らかの違いを持ったことを、ああだこうだと言っているだけであり、古いと思っていることが、古くなく、新しいと新鮮に映ることが古いということはよくあることなのである。
しかも、スマホ時代にあっては情報量の増大のお陰でそういう差異が増々縮まり、縮まる速度は急激に進んでいて、違いが無くなって「フラット」な状態になっていて次の扉が見つからず、水前寺さんのうたのように、三歩進んで二歩下がるのごとく、少しづつ進むどころではなく、後退するか良くても足踏みばかりをしているというのが、現代社会の悩みでもあるのだが、上記のたとえを現代の有名人に当てはめると、妹島和世先生は哲学者カントの信奉者でありつづけ、セジマ先生の先生だった伊東豊雄先生は、悩んだげく芸術活動家ラスキンの方に歩み寄ったということである。巨匠二人を軽々と位置づけるのには、少々僭越なのだが、本人たちがなんと言おうと、これで正解であり、次回の建築雑誌GAにこの原稿が載っても大丈夫である。

ところで仕事柄、「まちづくり」という活動にも、少しは足を突っ込んではいるが、上記の流れで説明すると、私自身は、マチというのは、「つくる」のではなく「ある」のである、と思っているから、ともすると、「活動」自体を楽しむことが目的になりがちな、「まちづくり」の働きの中において、マチを変えよう!とか、マチをつくろう!という入り方をするよりも、今そこにあるマチを古民家再生をする時に、古い建物を眺めるごとく、マチを眺めるという、そういう手法を当てはめるのが、ナウでヤングな方法ではないだろうか。
つまり、古民家再生の手法をまちづくりに生かせるというもので、いまの自分の立場に当てはめて言えば、下津井の私の生家に注目することが、時代の最先端になりうる、ということであり、ミース先生の格言である「神は細部に宿る」のごとく、個別具体的なものへの回答を丁寧に見つけ出すことが大事で、昨年冬に亡くなった祖父に感謝しつつ、いまは空き家になったあの住宅と再度向き合ってみる機会が到来したということである。下津井を考えることがサイセンタンである。


(写真はすべて下津井の住宅、明治39年築。)

*1:ちなみによく言われるのだが、あの「カフェゲバ」はどういう経緯で生まれたデザインなのか、と聞かれるのだが、それは、つまりは、いつもは全体がある中でスパイスを考えているところを、あのときは、スパイスだけをつくった、ということであり、突然変異でも何でもなく、私にとっては自然なかんじである。

国民の生活が第一

人の評価というのは誰しも気になるもので、言葉の安売りをしているこのブログも少しは人の目に触れているようで、Facebookの「いいね!」の数を、ちらりと見れば、キリスト教会の業界誌についての記事が一番多く、その次の「DOMA論」は、たったの「1」で、この記事の一つ前のいつもの感じのヤマグチ的べんらんめえ口調の「生活なのよね」が案外数を取っている。自分自身も忘れかけているけれど、これは建築系ブログで本来は、「DOMA論」が最多得点を取るべきなのだから、真面目に評価すれば、「DOMA論」はボツ原稿である。
もしかすると、学生がレポートのために検索して、コピペしているのではないかと思い、奥の手を使って調べてみたら、「ac.jp」の割合も案外多く、世の建築系学科の教師たちは、私の駄文を読まされているということになり、かつては研究者をめざした時期もあった私としては、なんだか複雑な感じではある。
ついでに学生に出血大サービスして、コピペ勉強法を教えてあげると、初めはコピペでもいいのだが、それを自分のものにするには十分に理解して、自分が気になる単語はしつこくトレースして、文脈から意図を汲まないといけないのだが、私はさらりといい加減な比喩でぶっ飛ばすので、「住宅産業をグルグル続け続ける自己目的化がダメ」「分断配置されて各自の持ち場でやることをくそ真面目にやっているからダメ」と書かれていたら、だるまさんが転んだ、のごとく、人が見ていない時には、懸命に自分勝手に好きなことをすべきなんだな、と解釈すべきで、ハムスターがぐるぐる回っているところを想像して、マジメなハムスターなら、疲れたらちょっと休む程度なのだが、不真面目な感じというのは、とっとこハム太郎のごとく、ケージから家からいつも出て行き大冒険をして、まいどくんなどと共に遊ぶべきで、が、しかし、バット、アーバー、肝心な時にはケージに戻って、ご主人様のご機嫌を取るべきなんだな、などと、解釈すべきで、水戸光圀公が大冒険するそばで、八のようにちょこまか動くべきで、ワンピのウソップのように必要とあらば一目散に逃げて、逃げつつやるべきことを考えるべきだというように解釈すべきなのである。
そういう風な高さも深さも奥行きも幅もある感じで、なんなら飛び道具も加えて、不真面目にハウスメーカーの社員が世のため人のために動いていたら、今日の体たらくはなかったはずで、戦後からの二十年程の大貢献はやるべきことをやったという意味で、評価されるべきだが、一仕事終えた後にはもう引くべきだったのだが、日本の世帯数よりも住宅の数が多くなったり、さらには人口が減り始めたりしている今日において、オワコン発の日本の住宅生産というのは、日本人の生活向上には寄与せず、むしろ阻害要因になってさえいる、というのが実態で、日本の生活者にとっての住宅不況ならぬ住宅不幸なのだとここで言っておきたい。
産業ではなく生活なんだよね、のひとことで、分かり易く要点を伝えているのだけど、一方では、今まで作り上げた住宅生産構造を利用して、各地域に適合する住宅を考えていこう、とか考えている偉い人がいるらしいけれど、役割を終えた住宅生産業というのが残念ながら日本の風景を台無しにしているのであるから、それを仕方なく使うというのではなく、より生活者の視点に立ったものから、建築主施主の立場の方から、住まいの造り方を考えていく、材料供給を考えていくというのが、基本路線で間違いないのである。
住宅の造り方がわからないというのは、よくよく考えれば、生き物としてマズいのであって、農協から買う苗のように一代で終わるような仕組みだったり、ウーマンリブ運動のお陰で子供の教育をしなくなったように、その同じ方向性を踏襲して、住宅の造り方がわからない、というのはまずいのである。簡単でいいので、つまりは、私がいつも言っているように納屋程度で十分なので、住宅の造り方というのをせめて中学生くらいの段階で身に付けておくというのが、これからの時代には大事なような気がする。そんなに原則論ばかり言ってもこの複雑な現代でそれはないでしょう、という意見もあるだろうが、急がば回れであり、原則が大事で原則から出発するべきである。国民の生活が第一である。あたりまえである。

倉敷市庁舎駐車場屋上)

「産業」ではなく「生活」なんだよ

無理矢理「産業」にしているのがだめだよな、と思うわけです。
自動車や家電のように工業化しないと世の中に出現しない代物と違い、住まいというのは、人がこの世界に生まれたそのときから、いつでも・常に・同時に・いやでも、「ある」わけで、やはり、「産業」ではなく「生活」だよな、とおもうわけです。

私が生まれた下津井は江戸時代に北前船が寄港して、寄港した期間というのは、岡山城の城下町よりも人々がごった返したそうですが、今は昔で、現在ではそんな様相は全くありません。私の祖父(大正4年生まれ)は、生前自分が住んでいる下津井の方が、児島よりも「都会」だと思っていたようですが、そういう感覚も彼の年代くらいまで、それ以降は、もうズレています。中学生になる頃に瀬戸大橋が開通しましたが、25年経ってもまだ宇野港から高松までフェリーが運航しているなんて、当時は考えていませんでしたが、主要交通手段の変化というのは、いとも残酷で、人の暮らしを変えていくわけで、鉄道中心から自動車中心の生活に変わった地方都市の駅前商店街が廃れるのも同じで、経産省補助金を仕方なく出しながら、商店街の活性化を!とか叫ばれても、住んでる人がやる気がない/もしくはピントがずれている、のだから、目も当てられないという商店街が各所に散在しているというわけです。モノ・カネ・ヒトが大きく動くために、主要交通手段が編み出され、いまとなっては、ネットとスマホでやりとりされていますが、その移り行く世情のなかでも、住まいというものは、変わるものではなく、ずうっとそこに「ある」ものです。

住宅産業というのは、すでに産業としてのダイナミズムも失われているので、「とにかくコストダウン」とか、「設備投資は必要最小限に切り詰めつつ、いかに経費を削るか」とかが、まずありきであって、そこには、「どんな生活を描きたいのか」という、本来の姿は皆無であり、皆無だからこそ、蹴ったら壊れるような住宅が大量生産され、十年毎にコーキングを打ち直さなければならない住宅を平気で使うというわけで、ここにいたり、日本の住環境の悪化が極まる原因があるわけです。
そんなこといっても、住宅メーカーも頑張っているじゃあないか、という見方もありますが、それは、上辺だけの話しであって、元が上記のような根性なんで、日本人が得意とするさわやかで奇麗なプレゼンが消費者に出来れば、そこそこ売れるし、長いものに巻かれるのが好きな国民性なので、ブランド力(笑)という物に頼って、自分の力で生活を考えずに、ネット検索という人のフンドシも現代は多数横行しているので、そのフンドシがどのくらい不潔かという感覚も合わせ持たないままに、住まいを選び、銀行融資のことも人に任せて、とりあえず、早くつくって来れればいいよ、みたいな感じで対するものだから、受ける方もそんな感じが加速して、早いが勝ちで消費増税前に逃げ切りましょう、そうしましょう!というのが、現代日本の住宅生産を取り巻く状況である。

まちづくりもそうだけど、住んでいる人の「生活」あっての「街」であるので、住んでいる人が自分たちの街を楽しみ、誇りを持てて、銭湯もあるし、八百屋もあるし、魚屋もある。そろばん教室もあるし、パン屋もある。色んな店が点在する中で、自分たちが暮らしていけるという、専門用語で言えば、「コンパクトシティ」というのが、ナウでヤングな街なのだが、すまいもそうで、「産業」が先にあるのではなく、「生活」が先にあり、これを読むあなたの生活のために住宅があるわけで、何で海外旅行から帰ってきて飛行機の窓から見る日本の風景が貧しく感じるかというと、そこには、「生活」が見当たらず、「産業」があるように見えるからで、こんなことをしていると、モノサシで線を引いたような区画の街ばかりになって、ズボンの腰からシャツがはみ出ている不手際さはそこにはなく、野良犬も生活できないだろうから、そうなったら、もうちょっと田舎に逃げて生活しないとイケナイくらいの危機感を感じる。そんな日本が残念ながら今の現状である。

スマホ世界の到来もあり、古いと思っていたものも古くなく、様々なものが同じ土俵で評価できるようになっているからこそ、いまいちど、ばかばかしい「戦後の住宅産業」ではなく、地に足の着いた「自分の生活」というものが、ナウでヤングなのだ、という新たな価値観を手に入れて、明日を歩み出して欲しい。
それにしても、住宅産業をグルグル続け続けるというのが目的になるという、自己目的化というのがまかり通り、まかり通るのは、携わっている人も分断されて、各自の持ち場でやることをくそ真面目にやっているからで、総体として観察すれば、こんなに馬鹿げたことはないな、というくらい、ばかばかしい感じになっているのである。アホである。

MINKAを学び、DOMAに行き着く。

海外の方からも、「MINKA」という表記で日本の民家は知られています。日本の伝統住宅、というのもありですが、MINKAといった方が直裁的に伝わり易いようです。

(近所の古民家)

ひとことで言えば、温故知新といえますが、私たちの感覚で言うと、現代だから生かせる技術がワンサとあり、その昔テレビに繋いで遊んでいたゲーム機がすべて無料でパソコンの中で出来てしまったり、ポケベルがスマホになるという技術の進み方のお陰で、昔は井戸水汲んで薪で火を炊いていた家事労働が、ボタン一つで出来てしまうという大変化をうけて、それまでは古くさい・遅れたものという印象しか持てなかったものを、現代の技術を使ってもう一度検討してみると、憧れの有名人と握手できるだけではなく、私に置き換えればドリフトキングの土屋圭市さんの助手席に座ってサーキットを走り、スッゲー!ドリフトなのに早えー!ウオー!.....くらいの、かなりグット来る空間が作れるので、たとえば私などは「土間の家」を推奨するということをテーマとしています。

そもそも床を高く上げるのは、湿気から逃げるという必要性からだったのですが、コンクリートなどの近代材料を使えば、高くすることなく、湿気を遮断して「土間の家」ができ、そんなことすると、たくさん床が汚れるでしょう!?という不安には、ありがたいことに外の道もすべて舗装されているので、気になるのは雨の日くらいのもので、そんな不安は直ぐに止み、むしろ、床を作るお金が安くなり天井も高くなり解放感が得られるという直接的なお得感があります。
家の外から文字通り地続きで家の中まで繋がっていると、家の中なんだけれど、靴を履いたままだし、自分がいる床と外の地面が近いので、公な・パブリックな感覚が生まれ、住宅内パブリックである「居間・台所・食堂」等のスペースを「土間空間」にし、寝室などのプライベート性の高い部屋は床を上げてあげることで、家庭内での公私の規律も付け易いという、特典も得られます。下世話なことで言うと、床に物を置かなくなるので、一見スッキリと見えるという現代の忙しい奥様にも易しい設計になっており、玄関を広くする必要がないので、面積の圧縮に役立ちます。

熱環境の話しで言えば、床をモルタルにし、壁を土壁にすることで、熱を蓄える能力(比熱)が高まるので、部屋の中の急激な温度変化が起きにくく、より人間に優しい室内環境が得られるという、効果もあります。薪ストーブをおきたい人には、土間の家は最適で、モルタルやタイルなどにするのがいいでしょう。オプションとして私の家では置き屋根にもしていますが、これは二階室内温度が夏期では三度程下がるという先人の知恵ですので、これも余裕があれば同時に活用すべきでしょう。
そんな「土間の家」も、三軒できており、ただいま四軒目が進行中ですが、戦前は当たり前だった「土間の家」が、生活スタイルの変わった現代の住宅でも通用し、いやむしろ好都合なものであるということが、だんだんと確認されており、MINKAを学んで現代に生かす私たちの手法には一つの武器となっています。伊東豊雄先生もここまで言っていませんので、我々の方に、一日の長があるといえましょう。
MINKAが、認知されたあとは、DOMAも認知されるような、そんなところまで行きたいところです。

雑誌掲載;キリスト教業界誌「ミニストリー第17号 教会建築」

キリスト新聞社の季刊誌「ミニストリー第17号」(2013年春号)が教会建築特集を組み、楢村設計時代に担当した「児島聖約キリスト教会 旧礼拝堂」が掲載されました。雑誌のサイトはこちらです。

この建物は右の欄にもリンクがありますが、明治初めに建てられた古くからの庄屋屋敷の「お座敷」を、戦後にスウェーデンの宣教師が買い取り、1995年までヴォーリズ事務所設計の新しい礼拝堂が出来るまでの約40年間を礼拝堂として使って来たもので、それを再生したことの報告が3ページに亘ってなされています。内容としては、建築についてはすでに報告した通りでこのブログで書いた域を超えるものではありませんが、それに追加して主任牧師の安達忠先生が牧師としてのコメントを寄せていて業界誌として読み手に優しいかたちとなっています。




このキリスト教会は、戦後期に中央ではなく地方都市岡山を拠点に宣教活動を開始した教団ですが、1960年代に2つの新築教会(岡山市玉野市)と児島市(現倉敷市児島)の庄屋屋敷の改造を宣教師繋がりでヴォーリズ事務所にしていただき、施工は倉敷の藤木工務店で行なっています。この他未確認ですが、玉野市岡山市に新築の宣教師住宅を、また倉敷市の林源十郎邸を改装した宣教師住宅兼教会をヴォーリズ設計藤木工務店施工で行なっています。このうち、玉野市の宣教師住宅は現存していて、4年程前に私自身の設計で再生され現在も住宅として使い続けられています。岡山市玉野市の教会堂は現存していて今も礼拝に使われており、児島の改造物件は上述の通り解体撤去され現存しません。また、岡山市倉敷市の宣教師住宅もすでに解体撤去されていて現存しません。


この特集での注目すべきは、長年教会建築に関わってこられ、私が属している教会の設計者でもある石田忠範さんが4ページに亘って、教会建築を志す教会のために実務的指南をしているところで、これから建物の改造新築等を考えている教会にとっては良い示唆を与えるものとなっています。私も読みましたが、石田さんの経験豊富な実績に裏付けされた適切なアドバイスは、短い紙面の中でも輝くものがありました。昨年秋に岡山で講演をしていただきましたが、重なるところもあり興味深く読んだものでした。興味のある方はお手に取ってご覧下さい。



(上記2枚はヴォーリズ設計の部分、1995年)
今後この系統の特集を組むとすれば、自己所有ではなく賃貸物件として教会堂を構えている教会のための実際的問題を扱うものや、礼拝堂という主要な部屋以外の周辺的な部屋や建築に付随する家具や看板・什器などを取り上げたもの、今後増えるであろう改造についての多数の報告、また日本における近年の現代教会建築の良質な事例の報告を重ねていくことが必要かと思いました。
歴史的理論的報告は、長久清先生の過去の著作『教会と教会堂』(2000年)や加藤常昭先生らが著した『教会建築』(1985年)などでほぼすべてが書かれていますので、ここから新しく重ねるとすれば、次の世代である私などが卒業論文で調べたことを下敷きに、もう少し礼拝学も勉強しつつ、150年前のイギリスに起こったゴシックリバイバルの時代を再考察して、教会堂としての現代的エッセンスが分かるものを引き出して、報告すべきかと自分では考えています。
150年前などと書くと、ずいぶん昔の話しとお思いかと思いますが、産業革命以後の世界というのは、地域の文化的民族的慣習的な誤差はあるにせよ、大体同じような感覚で世の中が動いており、この頃の大変化の中での当時の人たちの葛藤を追うことが、即現代に生かせるものになるのだと、推測しており、たぶんこれは当っていると思っています。いつのことやら分かりませが、自分自身が建築に興味を持つキッカケとなったものですので、ライフワークとして、取り組んでいきます。
久しぶりに教会建築に関わる業界誌での露出となりました。お声をかけていただいた編集長の松谷信司様、また友人の永野卓様、ありがとうございました。

住宅は道具である

従来、日本人は戦後始まった近代化の流れの中で、三種の神器と共に、当時興隆しつつあった交通手段としてのクルマに対して、交通手段というよりも、ありがたい「財産」として捉えていたフシがあり、いつかはクラウン!などと言いつつ、その延長で60年後の今でもクルマを「財産」だと捉えているのではないだろうか。家電の祖である三種の神器の方は、その後、新「三種の神器」が現れ、現在に至る家電大王国日本の栄えある状況があるわけだけど、現在日本製の白物家電が売れなくなった直接の原因というのは、製造業の拠点が中国台湾に代表される海外に移ったからだが、これを機に、安物家電が「家電は道具である」という考え方を刺激してくれて、本来のいや最低限の機能しかない安い家電、それでいて壊れにくいもの、というのが、価格ドットコムなどのコメント欄では、新たに「発見」されて、低成長時代の風も相まって、「もう、これで十分じゃないか」との、判定が下されているわけである。冷蔵庫はよく冷えてくれればよく、ボタンだらけのリモコンはもうたくさん、というわけである。
日本人は、家の次に高い買い物といわれるクルマという「財産」に対しても、財産なんだから新品(新車)は当然だし、新車をオーダーする時には財産をふやす感覚で自らの資金力の枠内でオプションを付けて、豪華にし、財産なんだからいつも奇麗に保ち、少しでも凹もうものなら、すぐさま板金屋で修理し、最近は不況のせいで余り聞かなくなったが、買って5年以内(つまりは、二回目の車検が来る前)で下取りに出して、次のクルマに乗り換えるという行為をするのである。
私に言わせれば、クルマなんてものは、50万円以内の中古車で十分で、ヤフオクカーセンサーも含めてネット上のやりとりで十分いいクルマが手に入り、そこから5年どころか、10年くらいは、ゴキゲンに乗れるのだが、現在中古車市場を賑わせているこの美味しい50万円以下のクルマという層が正に、クルマは道具である、ということに目覚めた人たちが、楽しんでいるクラスである。逆に50万円以下のクルマの中に、宝石を見出せなずむしろ惨めな気持ちに成るのは、クルマが道具ではなく財産だから、という前提を持っているからではないだろうか。
住宅を道具だと知らない人たちは、住宅を家電のようにコンセントに差し込めば働くものみたいな感じで思っており、クルマで言えばオイル交換を行う理由を知らないままにクルマに乗っているようなもので、家に住む、ではなく、家に住まわせれている、みたいなもので、30年経ったら、お前は出て行け!と家の方から言われるのである。
とくに、戦後の住宅生産構造によってつくられた家しか知らない人たちは、「本物」を見たことも触れたこともなく、無垢の木を見たことがないので、見たことがあるのは、せいぜい住友林業が多用する四面張り合わせの柱モドキのニセ柱でしかなく、大体の人が突き板程度であるので、ニセモノばかりを体験させられている人たちは、どうして木に節があるのか、理解が出来ず、「この木は節があるから木ではない」などと、びっくり理論をのたまうのである。節というのは枝の跡であり、枝がなければ葉っぱが広がらず、葉っぱが広がらなければ、木が育たず、そうして、私たちの目の前に住宅材料としての木材は出現しない、ということであり、私なんかは、ビンボー路線まっしぐらなので、節を見れば、ありがたやありがたやと思うのだが、本物知らずの人たちは、「これは木ではないから、この家は不良品である。納品前の検品が不十分だから、私は受け取らない」と、正に家電感覚で、住宅を捉えるのである。
こういうように日本人は、不必要に緻密で、その上、潔癖性という国民性があるから、こまったものである。これでは、メーカー住宅が売れに売れるわけで、先日もメーカー勤務の知人が「消費税が増税になる前に無理してでも仕事とらないと、増税後はピッタリ仕事なくなるので、ダメなんですよお」といっていたが、詰まりは、消費者からは「立派な家電」程度に見られているわけで、増税しようがしまいが、いつでも低空飛行の私には関係ないが、(戦前にはなかった)住宅産業にはトヨタや松下が参戦してきていて、彼らもクルマや家電の延長感覚で算入して、大誤算を食らって、今では、開き直っているらしいが、住宅というのは、アメリカで唯一の製造業といわれるくらいの現場でしかつくれない複合体であり、その複合体は、自動車や家電のような精度は不要で、低い精度の積み重ねで成り立っているかなりローテクな代物であり、「大草原の小さな家」や「北の国から」を出すまでもなく、「少し分かる」者がいれば、素人でもつくれるものであり、その「少し分かる」かどうかの、境目が「住宅は道具である」ことが、大工のように分かれというのではなく、理屈として分かるかどうかにあるのである。

そんなこと言うのは、あなたがクルマ好きで、建築の専門家だからでしょう、というかもしれないが、それは間違いではないが、すくなくとも、クルマも住宅も買っておしまいではなく、手に入れてからが始まりである、というゴクゴク基本の意識があるかどうかが大事で、特に住宅はライフサイクルの変化も加味して、少しづつ変化するものなので、単純ローコスト&地域にあった造り方というのが基本で、戦後の住宅生産構造の産物のように、どこでも同じような箱モノを平気で並べていき、出来たその日が一番美しく、その後はどんどんダメになるという工業製品と同じカテゴリーの、つまりは大きな家電のような家しか知らない人は、これは自分は大変な感覚を持っている、猛勉強しなければ、と今こそ腰を上げるときである。
衣食足りて礼節を知る、とは今は昔である。