住宅は道具である

従来、日本人は戦後始まった近代化の流れの中で、三種の神器と共に、当時興隆しつつあった交通手段としてのクルマに対して、交通手段というよりも、ありがたい「財産」として捉えていたフシがあり、いつかはクラウン!などと言いつつ、その延長で60年後の今でもクルマを「財産」だと捉えているのではないだろうか。家電の祖である三種の神器の方は、その後、新「三種の神器」が現れ、現在に至る家電大王国日本の栄えある状況があるわけだけど、現在日本製の白物家電が売れなくなった直接の原因というのは、製造業の拠点が中国台湾に代表される海外に移ったからだが、これを機に、安物家電が「家電は道具である」という考え方を刺激してくれて、本来のいや最低限の機能しかない安い家電、それでいて壊れにくいもの、というのが、価格ドットコムなどのコメント欄では、新たに「発見」されて、低成長時代の風も相まって、「もう、これで十分じゃないか」との、判定が下されているわけである。冷蔵庫はよく冷えてくれればよく、ボタンだらけのリモコンはもうたくさん、というわけである。
日本人は、家の次に高い買い物といわれるクルマという「財産」に対しても、財産なんだから新品(新車)は当然だし、新車をオーダーする時には財産をふやす感覚で自らの資金力の枠内でオプションを付けて、豪華にし、財産なんだからいつも奇麗に保ち、少しでも凹もうものなら、すぐさま板金屋で修理し、最近は不況のせいで余り聞かなくなったが、買って5年以内(つまりは、二回目の車検が来る前)で下取りに出して、次のクルマに乗り換えるという行為をするのである。
私に言わせれば、クルマなんてものは、50万円以内の中古車で十分で、ヤフオクカーセンサーも含めてネット上のやりとりで十分いいクルマが手に入り、そこから5年どころか、10年くらいは、ゴキゲンに乗れるのだが、現在中古車市場を賑わせているこの美味しい50万円以下のクルマという層が正に、クルマは道具である、ということに目覚めた人たちが、楽しんでいるクラスである。逆に50万円以下のクルマの中に、宝石を見出せなずむしろ惨めな気持ちに成るのは、クルマが道具ではなく財産だから、という前提を持っているからではないだろうか。
住宅を道具だと知らない人たちは、住宅を家電のようにコンセントに差し込めば働くものみたいな感じで思っており、クルマで言えばオイル交換を行う理由を知らないままにクルマに乗っているようなもので、家に住む、ではなく、家に住まわせれている、みたいなもので、30年経ったら、お前は出て行け!と家の方から言われるのである。
とくに、戦後の住宅生産構造によってつくられた家しか知らない人たちは、「本物」を見たことも触れたこともなく、無垢の木を見たことがないので、見たことがあるのは、せいぜい住友林業が多用する四面張り合わせの柱モドキのニセ柱でしかなく、大体の人が突き板程度であるので、ニセモノばかりを体験させられている人たちは、どうして木に節があるのか、理解が出来ず、「この木は節があるから木ではない」などと、びっくり理論をのたまうのである。節というのは枝の跡であり、枝がなければ葉っぱが広がらず、葉っぱが広がらなければ、木が育たず、そうして、私たちの目の前に住宅材料としての木材は出現しない、ということであり、私なんかは、ビンボー路線まっしぐらなので、節を見れば、ありがたやありがたやと思うのだが、本物知らずの人たちは、「これは木ではないから、この家は不良品である。納品前の検品が不十分だから、私は受け取らない」と、正に家電感覚で、住宅を捉えるのである。
こういうように日本人は、不必要に緻密で、その上、潔癖性という国民性があるから、こまったものである。これでは、メーカー住宅が売れに売れるわけで、先日もメーカー勤務の知人が「消費税が増税になる前に無理してでも仕事とらないと、増税後はピッタリ仕事なくなるので、ダメなんですよお」といっていたが、詰まりは、消費者からは「立派な家電」程度に見られているわけで、増税しようがしまいが、いつでも低空飛行の私には関係ないが、(戦前にはなかった)住宅産業にはトヨタや松下が参戦してきていて、彼らもクルマや家電の延長感覚で算入して、大誤算を食らって、今では、開き直っているらしいが、住宅というのは、アメリカで唯一の製造業といわれるくらいの現場でしかつくれない複合体であり、その複合体は、自動車や家電のような精度は不要で、低い精度の積み重ねで成り立っているかなりローテクな代物であり、「大草原の小さな家」や「北の国から」を出すまでもなく、「少し分かる」者がいれば、素人でもつくれるものであり、その「少し分かる」かどうかの、境目が「住宅は道具である」ことが、大工のように分かれというのではなく、理屈として分かるかどうかにあるのである。

そんなこと言うのは、あなたがクルマ好きで、建築の専門家だからでしょう、というかもしれないが、それは間違いではないが、すくなくとも、クルマも住宅も買っておしまいではなく、手に入れてからが始まりである、というゴクゴク基本の意識があるかどうかが大事で、特に住宅はライフサイクルの変化も加味して、少しづつ変化するものなので、単純ローコスト&地域にあった造り方というのが基本で、戦後の住宅生産構造の産物のように、どこでも同じような箱モノを平気で並べていき、出来たその日が一番美しく、その後はどんどんダメになるという工業製品と同じカテゴリーの、つまりは大きな家電のような家しか知らない人は、これは自分は大変な感覚を持っている、猛勉強しなければ、と今こそ腰を上げるときである。
衣食足りて礼節を知る、とは今は昔である。