流行の製造

流行、という言葉が当てはまるのは、実用品以外の贅沢品と言おうか、奢侈なものと言おうか、そういった領域に当てはまる言葉であるが、消しゴムは奇麗に消せることが大事で、衣服は身体にフィットすることが大事なのだが、そこには、技術的な前進は幾らかあったとしても、それだけであって、必要な大きさや使い方が大きく変わることはない。
中学の卒業の折、早々と進学先を決め、どーにもこーにもヒマだったので卒業記念誌の編集委員を請負い、誰に頼まれたわけではないが、勝手に大好きな「Lee」ジーンズの特集を書いた覚えがあるが、翌年16歳の頃にモノマガジンに傾倒し、分厚い200号記念号を買い求め、これが世界の傑作かと感心していたが、それを二十年本棚に暖めたまま、38歳になってみると、同じ様な特集を今度はブルータスが企画し、尊敬できる「日用品」、などのコピーで基本思想は同じまま、これが定番!これが実生活を充実させる品々だと解説してくれている。つまりは、日用品というか実用品の世界では、流行り廃りはそれほどない、ということであるが、同時にこのような企画がウケるのは、このような方向性を実生活の中で実現することが困難だからであり、逆説的でばかばかしいかぎりだが実用品が贅沢品となっているというのが、今の日本の常識らしい。
なんでそんなことになっているかというと、需要のために製造されるという本来の清き正しい産業構造ではなくて、産業というものが人間生活を補助する役割から分離し遊離していて、需要のための産業ではなく、販売のための産業となっているのが原因であり、それを翻訳すると、耕作に従事するべき人が玩具品の製作に没頭しており、製鉄に従事するべき人が非実用品の製造を行ない、生活必需品の製造のために必要な人がコンビニで店員をしているから、そんなこんなで実用品が逆立ちして贅沢品になるのである。
モノマガジン200号記念に乗っている定番商品には、舶来モノも多いが、いくら舶来モノが素敵だと思っていても、コルクではなくネジを切っている金属製の蓋をもつイタリア製ワインを一口おいしく頂戴した後、日本製と同じ様な感覚で冷蔵庫に横倒しで置いたがために、暗い冷蔵庫の中でジワジワと口からワインをこぼしてしまい、ワイン風味のトウモロコシを子供に食べさせて妻に大怒られしてしまった私が涙ながらに言うから、これは本当だが、製造業がボロボロの国の工業製品というのは、悲惨であり、昨今製造業の衰退が叫ばれる日本も例に漏れず、そのあとに続いているのであり、まともにモノが作れなくなったために、それゆえ実用品が贅沢品になってしまった、というのが種アカシであり、我々はいまそのただ中で生きているということである。
では、人々は実用品を買い求めずに、何にお金を使っているのかというと、先に書いた玩具品や非実用品をコンビニで買っているのであり、実用品ではなく不要品で棚を溢れさせ、浪費することが素晴らしいことだと軽薄な広告代理店に擦り込まれている国民が消費者という資本家のカモに仕立てられて蝶ネクタイをした上で嬉々として、店頭に行き、自分が欲しいわけではないが、実感はないけれど、人が言うにはそれはとてもいいらしいから買っているという、消費行動に走っているのであり、そういった無益な贅沢品の総大将となっているのが、価格に見合わない住宅なのは、この長い文章を読み進めた修行僧の様な読者には、合点がいくところだろう。
戦後の住宅産業による住宅の価格と品質が一致していないのは、自分の稼ぎが悪いからだと、自分を責めるオトーさんオカーさんが日本中に溢れているが、悪いのはあなたではなく、断じてあなたではなく、需要のための産業ではなく、販売のための産業となっているその仕組みが悪いのであり原因であるが、販売のための産業、とは、言ってみれば、流行を製造することであり、流行製造マシーンのサイクルに乗って、自転車を漕ぎ続けているのが、現代日本人の一般的消費生活なのだが、ここいらで、ちょっと、おやじさん、その自転車を降りてみませんか、と声を掛けているのが、ヤマグチ建築デザインであり、不惑前だけど、16歳の頃からずっと不惑じゃないかと噂のある私である。

先日のIWJで岩上による小沢インタビューの最後部で、「三年後は国民サイドの政権を取り戻しますよ、もちろんですよ」と小沢が喝破してみせたのと同じ意気込みで、自分らしい家、自分に相応しい家に住めますよ、あなたは!と私は言っているのであり、実用品の王様である住まいが贅沢品ではなく、手に届くものとして提供するのが、私の役割であり、正直言えば、初めにボタンさえ掛け違わなければ、超簡単な方法なのだが、失われた十年が、失われた二十年になりそうな日本においては、なかなか突き抜けるのが難しく、ここに我が事務所の存在意義があるのだと、深夜に小さく叫んでいるのである。

ついさっき、大学時代にお世話になった方が緊急入院したとの連絡が入ったが、敬愛する先輩が命を取り留め、現場に復帰できるよう祈りつつ、長ったらしい今日のエントリーを終わることとする。


(撮影;堂本裕樹・IMAGINE DESIGN OFFICE)