再考・土間の生活

前回のブログを書いた次の日には、なんとか賞という賞を受けたことで、一般の人は誰も知らない伊東豊雄先生が、少しは知られる建築家になったのだが、その彼が、「ヤマグチくん、建築と言うのは、建物で勝負であって説明の言葉なんか要らないんだよ、それに、閉鎖的な家で育った姪っ子たちが、あの家を出て行ったように、わたしも<建築は作品性が第一です>というケージから、でることにしたよ」というのも、頷けるのであり、そのように説明をしてくれる伊東先生の方が潔く、むしろ好きになれるタイプである。
伊東先生も土間を推奨しているように、日本人は靴を脱ぐのです、だから、家に入ると直ぐに靴は脱ぐべきなんです。というタイプの家は、これからは、少なくなっていくような気がする。土間については、このブログ内で幾つも書いたが、もう一度繰り返すと、井戸水とカマドの火の利用という土間生活を成り立たせていた必然性が、現代では不要となったのであり、栓を開ければ水が出て、ボタンを押せば火がつくという生活になっているのが、現代日本住宅であり、それにくわえて、床を高く上げるのは、湿気から逃げているのであるが、地面にコンクリートを打てば、その湿気を断ち切れるので、コンクリートの上にモルタルを塗り、「モルタル土間」でござんす、ということで、寝室やお風呂といったプライベート性の高い空間は別にして、家の中でのパブリックと呼べる居間や食堂、台所といった部屋は、玄関も含めて土間にしてしまえばいいのである。
土間が無くなったのは、労働者9割がサラリーマンになったこととも関係しているが、つまりは、自宅での作業というものが、一切不要になったからであり、農家・商店を始め自営業のひとにとってみれば、本来は土間の方が都合が良いのだが、それが、みんな外で働くようになり、ついでに子供も皆学校へ行ってしまい、言ってみれば、外で稼ぐことになった日本人は自らが進んで住宅内パブリックを消し去ってしまったのであり、住宅内パブリックが無くなると、みんなプライベートということになり、我欲むき出しのプラベート同士がぶつかり合うような家に住む家族のあいだでは、親しき仲に礼義有り、地震雷火事親父、という麗しい日本文化を受け継ぐことが出来なくなり、ここにいたり、「住宅発家族崩壊物語」という仮説が設定されるのである。こういうことは、20年前くらいに山本理顕上野千鶴子に教えてやるべきだったが、いかんせん、20年前に建築を勉強し始めたので、地方都市の売れない建築家である私としては、力及ばずである。

ということで、30歳から31歳に考え設計して、5年前に出来た私の家の写真が、ゆったりまったりのお付き合いをしている写真家から送られてきたので、ここにアップしておくが、上記のような能書きは忘れ去った上で、土間の住宅というのはこんなもんなんだな、というのがこの写真で伝われば、とりあえず、二ヶ月ぶりのブログ記事アップの目的は果たせたというものである。
日本人は最後に大事なことをぽろりというので、辛抱強い読者は得をしたが、古民家再生工房の流れを汲む私たちが、一体全体何をしてるかというと、「戦後の住宅生産構造」を敵と看做し、戦後の数十年の悪巧みが仮に存在せず、室町以来の住宅文化が現代にまでストレートに続いていたとしたら、一体どんな住宅になるのであろうか、というような仮想の状態を頭に置きながら、設計しているのであり、昔の家が派手だったように、安価な住宅であっても、重みや深み、また艶かしさや色艶というものを実現できないだろうか、ということを日々考えているのであり、先日の安倍プーチン横並びの記者会見で、日本人記者の質問にプーチンがぴしゃりと答えたのと同じくらいの意気込みで、隙あらばなんとかハウスやなんとかホームにしか、目が行かなかった日本人をこちらに引き寄せられないかと、画策しているのである。