団地よ、荒廃せよ。若者よ、集落に帰れ。

団地の荒廃がとまらない。かつて、「団地よ、山に還れ。民よ、集落に還れ。」という記事を書いたけど、それ以降も、どんどん寂れて来てる。

就農とか、田んぼの再生・林業の再生とか、そういうのを絶えず聞くけれども、その人たちも、費用対効果を考えて、「昔は全部棚田だったので、これ全部を再生したいんです」なんて、中学生が言いそうなことを言うもんではないと思う。そうではなく、ある一定区域を限定したうえで再生するべきで、自分たちの手に余ることを言ったり試みたりしてはならないのだ。そういう分際をわきまえた姿勢を持っていると、遠くからネットを通じて見ている人は、きちんと評価してくれる。
住宅でもそうだ。予算が限られているのに、この敷地内にあるもの全部再生しましょう!なんてことは、設計者は言わないし、そんなことを言う人がいたら、施主の金ではなく自分の金でやれよ、といいたいし、そんなアマちゃんには、もう次の仕事は来ないのである。
団塊の世代のお金持ちの中には、寂れた団地に別荘を買う人もいるだろうが、周りはぜんぶジジババであり、自分の子供世代がいない寂しい街のなかで、奇麗な言葉で二人だけの会話を二年くらい繰り返していると、活気がない団地にはもう行きたくなくなるのである。
そうすると、東京で働いている、40歳までの若者たちが、東京から出払って、自分や親の生まれたところへ帰り、それなりに暮らしていけば、東京よりも水準は落ちるだろうが、楽しい日々が始められるのではないか、という考えも生まれて来るのである。なんなら、地元に残っていた同級生と再会して、結婚するものもあってもいい。
いや、そんなこと言ったって、地元には仕事はないでしょうというそこのあなた、あなたは間違っている。40歳までの人がごそっと帰っていけば、作る側と消費する側の双方にワンさと人が溢れるわけで、それだけで、街が出来上がり、なんなら、東京から大手のチェーン店が出店してきそうな勢いである。バブル世代のアマちゃんたち以下の世代の者は、就職してこの方、ずうっと、ウダツが上がらず雑巾掛けを強いられていて、それはもう、雑巾掛け世界一くらいが、横繋がりであらゆる職種に溢れているのだから、彼らに任せておけば、街の運営くらいは簡単なものである。彼らがごそっと移住したとたん、国会議員は胃液を口から出し、上場企業は脱糞し、外資系は即死するのである。
かつては、山を切り開いて、こここそ、ラストリゾートだぜい!とかいいながら、ヨダレを垂らした土建屋が群がっていた団地は、そのヨダレごと山に還しておいて、江戸時代くらいから続く古い集落の方を再開発して、そこをラストリゾートにすればいいのである。「団地よ、荒廃せよ。若者よ、集落に帰れ。」となるのである。大丈夫である。