理想は核家族、ばつ。理想は大家族、まる。
結局、戦後の住宅生産構造が役割を終えたにもかかわらず、いまだにのさばっていて、老害達の無意味な欲張りが日本の住宅を混乱させてきたという事でファイナルアンサーではないか。社会の構造は裏も表も上も下もあっていいだろうが、今の構造を無理に変える必要はなく問題は老害の強欲を制御すれば上手く調和するということだろう。もしくは、消費者からあんたなんか嫌いよ、さよならばいばい、といってやればいいのだ。住宅というのは、衣食住、といわれるように、ゴクゴク基本的な生活の術である。それがめちゃくちゃお金が掛かるというのは、おかしいではないか。せめて納屋程度の住まいでいいから、手に入るという状況があって然るべきではないか。
否、地方では出来るだろうが、東京では、ワンルームマンションに住むことすら困難で、もう少しすると、我々氷河期世代の勇士が、ワンボックス車(ハイエースがお勧めだ)をカーセンサーで10万円くらいで買って少し改造して、夜間パーキングに停めて暮らして行くというのが、一番安上がりだと言う現時点での最適解を見出すのではないか。朝になればその車でそのまま出社すれば良い。空いたスペースは、おでん屋台に又貸してもいい。そうなれば、設計屋などという古典的職能はもう不要であるから、東京でまじめに設計業をしている先輩後輩はこのことを一度考えてみてほしい。
さて、脱線したが、戦後期に大量に安価で素早く必要だった住宅が一旦満たされれば、つぎは、その住宅を分けてやればいい、と単純な発想で、霞ヶ関のおじさんたちは、「理想は核家族」というイメージを国民に抱かせた。まるで、一度手放した恋人が惜しくなって、引き戻したようだ。そういう時代は、ほんの数十年の間であったが、その頃は、いまでは考えつかないほど、年々人々の生活が豊かになり、土ボコリの立つ土間の隅っこで薪で米を炊いていた時代から、一気にスリッパ履きの台所でガスで焚くようになり、いまでは電気になって来た時代である。水道も蛇口をひねれば出てくるようになった。家事労働は激変し、女性は家庭から解放されて、社会に出よということになって来た。子供は学校がおもりをしてくれることになり、おもりどころか、バカでも大学にいく時代になった今日、子供を都会にやって田舎で二人暮らしをしているおじさんおばさんは、そういう「理想は核家族」という路線が自分たちの老後にもたらすダメージを、いまになって実感している。
住宅メーカーの幹部たちは、今の自分たちのやり方が正しいのだ、とは思っていないらしい。伝聞だが、どうやら、そのようである。とすると、もうこれは、植木等の世界であって、わかっちゃいるけど、やめられない。あーすいすい、すだらだっだ。と言った感じである。彼らが止められないのは、「50円住宅」を相手にする消費者がいるからであって、もうあんたなんか、相手にしないわよ。一度別れた恋人に何度も連絡してこないでよ。私にはもう新しい家族がいるのよ。もう、はしたないわ。パチン!とほっぺを平手打ちしてやればいいのである。
ポイントは、戦後の住宅生産構造から外れたところで、自分自身の戦いを始めることである。「理想は核家族」という時代はとっくに終わっている。こんなにも住宅が余っているのに、どうしてまだ住宅を造る必要があるんだろうか。親と一緒に住んで何がイケナイんだろうか。家族というのは仲が良くて分かりあえる存在だ、なんて理想でも持っているんだろうか、分かりあえないことを心底わかった上で、夫婦であり親子であること、ジジババと共に暮らすことを昔の人はやっていたし、その中に豊かな家族像をみて大きくなった子供は時折ジジババの酸っぱい服のニオイを思い出しながら、また新しい家族を造っていくのである。そういう時代は、昔のことだと言うかもしれないが、その昔というのは、ほんの50年くらい前のことであり、ひとりの人間が生まれて白髪頭になるくらいのスパンであり、大した違いではない。田舎においては、「理想は大家族」であり、都会では「家はワンボックスカーでコインパーキング暮らし」である。大丈夫である。
(戦前の築造と見られる住宅の一例)