よい家具でよい生活を

 売れない設計屋の私でも、時に金銭感覚が麻痺して、お高いものを買ってしまうことがある。その代表が住宅建築時に購入した家具たちだ。住宅建築中だと、家具が安く見えてしまう、というよくある勘違いで購入決定に至ったのだ。これを読む方もそういう経験はあるはずだ、きっと(笑)。幸いそれ以降、勘違いを起こすような金銭には恵まれず過ごしているが、朝日に包まれながらの朝食は確かに、その家具たちのおかげでさらに美味しくなっている。
 「生活デザイン」という言葉を、提唱し始めたのは島崎信さんだ。北欧家具の大家であり、東急ハンズやアイデック、さらには「鼓童」の立ち上げ人でもある。岡山市藤田の守屋晴海さんも、家具作家として島崎さんに影響された一人だが、近年倉敷にお店を構えて以降は、家具作家以外の活動が活発に見える。島崎さんが言うところの「生活デザイン」というのは、ひと言で言えば、「良いものを使えば、良い人になる」というものだが、守屋さんはそれを倉敷において展開していきたいと願っている。


 かつての日本は、食事時には畳の上にお膳を置き、寝る時にはその同じところに布団を広げた。いまでいえば、シンプルで、ミニマムな生活を常としてた、という評価もできる。それはそれで、素晴らしいが、現代の日本人にそれを求めるのは、少し酷なようだ。
 戦後に急速に普及した「椅子」は、現在、日本独自の道を模索している。日本人は椅子の座り方を知らない、と守屋さんは言う。それは、クルマのシートでも同じで、お尻を座面の奥深くまで置いている人は、なかなかいない。「腰掛け」という言葉があるが、日本人の座り方は、まさに「ちょこん」とお尻を乗っけただけで、しっかりと、椅子に頼ろうとはしない座り方だ。そういう日本人のための新しい椅子をも現在展示中だ。
 「生活デザインミュージアム倉敷」では、訪れる各人に相応しい椅子を提案し、町医者のように、ソムリエのように、家具を通して生まれて来る、良い生活を提案している。林源十郎商店には、幾つもの魅力的なお店が詰まっているし、東町店の近隣には、中国緞通「MUNI」や、イタリア料理店「トラットリアはしまや」などもある。喫茶店も隣接しているので、時間を持て余すこともない。

 「美しい」というところから、糸口を見出したい、と守屋さんは言う。人が身体を預ける椅子という家具は、高度な技術と経験がないと生まれないのだが、店を訪れる人に対して、作る側からの説明をしても、なかなか伝わらない、という。守屋晴海というフィルターを通して見えて来る、美しい日本の椅子が倉敷にある。ぜひ、あなたにも体験して欲しい。