「カッコいい」という価値から、入っていく


(楢村徹設計室時代の担当物件)

 その昔、まだこの仕事に就いて、一年目か二年目の頃だったと思うけど、先輩の担当部件が完成しかけた頃、現場から帰って来た先輩が「自転車で走ってる高校生が『あの家、カッコいいよな』って、友達と話しとったんよ、うれしかったー。」と興奮気味に話していたことがあった。いまでも、覚えているほど印象的な話だ。

(土間の家3)

 どんなに特別で素晴らしいことでも、いろいろと言葉を重ねて説明するのではなく、目で見て、直接心に訴えるものの方が、相手に伝わることが多い。テレビの通販CMで、体験者を登場させて、さも、効果があるように訴えるのは、その仕組みをうまく使った例だ。

(土間の家2)

 モノの世界もおなじで、ぱっと見て、「いいな」と思うかどうかで、その先に進むのかどうかが決まって来る。「いいな」と思わなければ、いくら耳に言葉が入って来ても、それ以上の認知が進まない。さきの若い感性を持った高校生が「あの家、カッコいい」と言ってくれたというのは、私たちの仕事にとっては、特別の賛辞だった。

(カフェゲバ)

 「古いから」ではなく、「エコだから」ではなく、「伝統だから」でもない。「機能的だから」ではなく、「安いから」でもない。「カッコよく、美しいから」いいのである。
 もちろん、私たちの住宅は「古い」し、「エコ」だし、「伝統」でもある。「機能的」だし、「安く」も作っている。しかし、それだけではダメで、それだけだと、新聞広告に載っているナントカハウスの家のところまで、コロコロと落ちていく。それはもう、あっという間に落ちていく。その速度は早い。
 そういう、ある意味、「縁・ふち・エッジ」のような狭いところに立ちながら、内と外を見極めつつ、これがいいのだ!と、ある一定方向を指し示して、建物をつくっている。

(ヤマグチ建築デザイン)