回顧録;20年を振り返って(1992−2012)

 ちょうど、20年前に現在の姿に近い自分の将来を思い描いていたのを思い出した。先日、ヴォーリズ建築事務所の元社長、石田忠範さんとお会いする機会があって、二十年経った事に気付いたのだった。20年前に、当時もそして現在も所属しているキリスト教会が、教会堂を新築しようとして、建築委員会なるものを組織した。最初はまだ、混沌としていて、形のないまま、石田さんをお呼びして、スタートしたのだ。私としては、当時土木工学を学んでいたのだが、建築の方がずいぶん魅力的に見えて、石田さんに本を紹介してもらったり、自分で探し求めたりして、教会堂から始めて、建築に接していき、大学には編入学というかたちで入っていった。

 以下に分かり易く、二十年の成果をまとめてみた。

         (世の中の求めに応じて)      (自分の興味に従って)

  1. 高専土木  □ 酸性雨の基礎研究       □
  2. 大学建築  □                □ プロテスタントの教会堂の歴史
  3. 大学院修士 □ 土壁の構法          □
  4. 設計事務所 □ 現代建築としての古民家の再生 □

 左右に分けて表現してみたが、左の「酸性雨」「土壁」「古民家再生」というのが、世の中の求めに応じて生まれて来たテーマだというのに比べて、右の「教会堂の歴史」なんていうものは、誰に頼まれたわけでもなく、自分の興味に従ってやっていたことだった。
 「酸性雨」;当時、土木工学は、やるべき古典的なことをやり尽していて、環境汚染のことを取り扱う方向になっていた。指導教官であった春本繁先生は、構造力学の専門だったが、自分が勉強してもない分野なのに、これどうかな?やる?という感じで、友人の角谷くんと二人でペアになって、雨水やため池の酸性具合を調べたりしたものだった。
 「土壁の構法」;当時は、古くからある構法だけに、それを客観的に研究対象として取り上げることは、なんだか、「学問じゃあない」という雰囲気があった。文字になっているものは、もの好きな職人たちが「左官雑誌」のようなものを作って、オタクな世界で楽しんでいた程度だった。そこを、指導教官の泉田英雄先生が、取り上げて、私が実動部隊としてスタートしたものだった。泉田さんは、友人が『住まいの伝統技術』や、『住まいはかたる』等を書いていることから分かるように、建築の作り方・構法についても造詣が深く、大学の周りの地域での土壁の構法について、研究するようになった。研究途中では、どこかのホームページから問い合わせがあったり、アイドルグループTOKIOの「鉄腕ダッシュ」をつくる制作会社から、土壁の作り方を教えて欲しい、などの問合せもあった。テレビというのは、消費されるに値するものを取り上げるのだから、私たちの取り組みは意味があったのかと、後になって思ったものだった(清水建設の持つ財団である「一般財団法人住総研」から2003年度にすぐれた研究として表彰される)。
 「古民家再生」;言うまでもなく、矢吹さんと楢村さんたちが、現代建築を作る際に「古民家」を一つの素材として取り上げ、それを現代的な解釈で、一般的なサラリーマンでも手に入れられる住宅建築として完成した体系だ。よく間違われるように、長野県の降旗さんらのしている民芸調な住宅を好む方向からのアプローチではなく、あくまでも現代建築として、取り組んだことに意義があり、それゆえに影響力を持った。現在では、他の地方の建築家はもとより、一般の工務店の人たちも真似をして、一群の「古民家再生ブーム」を形作っている。なお、古民家再生工房は1999年に建築学会の業績賞を受賞している。私としては、多くの先輩方から、多くの手法を、ただただ有難く教えて頂いただけだったが、現在は、じぶんなりの手法の開発のために、下の写真などのようなことをしながら、努力しているところである。(この項目は、世の中の求めに応じて、というよりも、古民家再生工房が開拓した分野だ。)