「西山夘三」というアシカセ

 戦前に国民の住環境改善を目的に住まいの現状を調査した西山夘三という学者がいた。大阪万博に至るまで影響力を持った偉大な方だったが、その方の成果として、「食寝分離論」というのがある。調査の中では、狭い住宅の中で、食事する部屋と、寝る部屋が、同じ家というのが多数見受けられて、住環境の改善のためには、とりあえず、食と寝とは、別の部屋にした方がいいだろう。そこから始めよう。ということを提案したのだ。
 その過程で出て来た単語が、「nDK」という表現である。「n」には数字が入る。おそらくなのだが、調査する時の調査票の図面上に「Dはダイニングを示す」、「Kはキッチンを示す」などの取り決めがあったのだと思う。調査というのは大体時間が無いもので、グループ内での略字で表現したのだ。
 西山先生たちは、これからの住まいのあり方として、「nDK」という一つの型を提案したのだが、それからというもの、狭い宅地の中で、DK以外の部屋数がいくらとれるのか、というのが、ひとつのモノサシとなって、ひさしい。

 当時は、よりよい住まいの代名詞であった「nDK」という表現だが、それが、写真にあるように、今日においても、使われ続けていることには、これはもう、驚嘆するしかない。かなりの普及の仕方であって、教育効果としては、十分すぎるほどの威力を持っている。1947年に『これからのすまい』を出版して、今は2012年である。その年、65年だ。公団住宅にも採用された、この「nDK」は、65年経っても尚、強い耐力を以て、日本の住宅を支えているといえる。
 いや、見方を変えれば、その頃から、進んでいない、という見方もできないか。つまり、「西山夘三」という戦前のアシカセが、日本住宅を縛っていて、国民の「住」に関する意識を固めてしまっているのである。
 戦後住宅の歴史、それは、私がよく使う用語「戦後の住宅生産構造」と「西山夘三・nDK」がセットになって、劣悪な環境を改善しつくして、日本中を行き巡ったその後、そこで停まっているのではないか。上の写真には、「先進の設備」「洗練された仕様」の二つが「上質な暮らし」を作る要素だ、としているが、ひとつ前のエントリーで書いたように、それは、「nDK」の従姉であり、「建物は土地である」の子供である。
 西山夘三という戦前のアシカセが、いまも、日本人の住まいに対する期待値を落とし続けている。住まいを諦めてしまっている。まずは、これが目の前にある現実として、受け止め、私達は仕事をすべきと考える。
 住まいを諦めない、そう思えるような希望をこれからも重ねていきたい。