住まいを諦めない。

海外旅行から帰って来ると,日本の町並みが貧しく感じます。日本の住まいが貧しくなるのは、住まいで生活する時間が極端に短くなっていることも関係しているはずだ、と以前書きましたが、今年の調査では、どうやら、労働人口の9割がサラリーマンとなっているそうです。私の目算はあっているようです。

日本ではあらゆる分野で「安さ至上主義、安いのいちばん!」というのが、只今、爆走中で、「安かろう、悪かろう」という状況を、多くの人が受け入れている感があります。空き家率が過去最高を更新し続けている日本。一方では、安っぽい新築をつくり続けている消費者達。あまりにもその期間が長いので、質が低下している、ということ自体に気付かぬまま、なにが良いものか分からぬまま、生活を続けています。(建築で言えば、)戦後の住宅生産構造に飲み込まれている限り、これはいつまでも続くでしょう。

先日、倉敷の林源十郎商店の屋上で、島崎信先生などを交えて、「倉敷生活デザインミュージアム」の主催でセミナーがありましたが、そのときに、島崎さんが言われていたことは、「美しいものを使っていると、より良い生活になる、より良い人になる」ということでした。安いものしか買えないのに、「美しいもの」を使え、とは、そんな無理難題を言われても困ります。.......これが、正直な反応ではないでしょうか。そこには、イイものは高い、という法則が自明のように、潜んでいます。

しかし、この写真にあるように粗末な材料であっても、豊かな空間は作れます。空き家率はゆうに1割を超えていますから、家を新築しなくても、あまり余っている、空き家を改造する、という行き方も選択肢に加えた方がいいです。もしくは、従来型の住宅に嫌気がさしている人がいたとしたら、そういうひとは、コンテナを重ねて住居にしてもいいでしょう。もっと進んで、キャンピングカーを住居にしてもいいでしょう。固定資産税がかかりません。家の周辺には緑を植えて、居心地よくしましょう。玄関マットやゴミ箱、什器類にも、すこしづつでも、自分カラーをおりこんで、居心地を良くしましょう。そこに共通しているのは、住まいを諦めない、という静かな「抵抗」ではないでしょうか。

住まいを諦めない、その想いを受け止め、大きく膨らませ、かたちの無いものにかたちを与え、そして、現実のものにすること、現実に暮らし、味わっていただくこと。それが、私たちの役割です。