浦辺さんの日本工芸館

先日、浦辺さんの処女作が改修されていました。旧館と新館を繋ぐなまこかべは、新しい命を頂いたようです。
下から見て、この屋根が置き屋根でしかも、スペイン瓦を葺いていることなど、観光客の誰が気付くでしょう。


下の写真は、大阪市にある「日本工芸館」という建物です。倉敷考古館新館と同様、すでに築50年が過ぎています。
中層のビルに挟まれていますが、存在感は抜群です。



なんともいえないこの独特の庇は、大原美術館新館にも使われ、倉敷国際ホテルで、大々的に披露されます。

浦辺さんのことは、色々書いたけど、ここのページなどを見ると、児島の両備バスの駐車場で同じような格子の付け方をしているのが分かります。

50年前というのは、こんなものや、

こんなものが

どんどん出来ていた時で、如何に浦辺さんがメインストリームから距離を置いて、自分を作っていたのかが分かります。長い間(28年間)、クラレ営繕部で営繕技師として、働いていた浦辺さんが、大原總一朗さんの許しを得て独立(55歳)してから、いきなり、こんなになった訳ではないはずです。
京大を出て薬師寺の元で数年学び、営繕部長になってから、55歳で独立するまでに、身につけていたものが開花したということですが、今度はその営繕技師時代の建物に会いに行きたいものです。残っていれば、ですが。
倉敷に生きるものとしては、やはり浦辺さんの存在は大きいのです。