10年と30年、この日本的時間の流れ

 先日、若いご夫婦が相談に来られました。その二人は、住宅展示場で、家の値段を尋ねた時に「30年で解体するつもりで、この値段になっています。そのおつもりですよね?」と言われたそうで、そんなつもりの無い二人は、その言葉に困惑したそうです。
 これは、日本のクルマの寿命の考え方と似ています。10年経ったら、クルマは買い替え、というあのサイクルとおなじです。日本車は、10年10万キロまでは、ほとんど故障もなく、オイル類の交換さえしていれば、乗り続けることが出来ます。逆にいうと、初めからそのような設計になっているようです。15万キロくらい過ぎると、それなりに、手を加えても骨組みがヨレヨレになったり、修理するのに50万円などの金額になってしまって、もう新しいのがいいかな、となってしまいます。今までいろいろと書いた戦後につくられた住宅の作り方で建てられた住宅も同じです。出来たときが一番美しくて、その後、ドンドンみすぼらしくなり、30年経って、修理しようとしても、全体的に「駄目」なので、修理する気になりません。日本の住宅とクルマは似たようなものになっています。
 ところが、欧州車は違います。「欧州車は、維持費が高い」というのが定評ですが、たしかに、実際、日本車に比べれば、やたらと点検毎の交換部品が多いです。それは、10万キロどころか、50万キロくらい乗れるような耐久性で、シャーシ、エンジン、駆動系などの本体部分がつくられ、それらを取り巻く部品類は、いろんな力を一手に引き受ける消耗部品としてドンドン交換して行くような作りになっているそうです。とくに二十年くらい前までのメルセデスなどは、そういう傾向が強かったそうです。彼ら欧州人は、平気で、20万キロ、30万キロと乗り繋いでいます。中古車屋にも、15万キロ、20万キロのクルマが並んでいて、欧州人は、普通にそれを買って、更に15万キロくらい乗っているそうです。10年で乗り換えるのと、30年乗り繋いで行くのとでは、トータルでの費用対効果は、欧州的クルマ生活の方が勝っているように、私には写ります。
   
   
 こうして見て行くと、10年や30年という時間の区切りは、大量消費と大量廃棄を善だと捉えた、日本的なものであって、税制や補助金なども背景としながら、社会全体が承認した区切りのようにみえます。そして、それから外れる行き方については、「お金が掛かる」等と言われて、敬遠されます。欧州車に乗ることや、我々が取り組んでいる、古民家の再生などの、あまりにも無駄の多い(と思われている)やり方は、「お金が掛かる贅沢品」の最たるもののように評価を受けます。東京の雑誌メディアなどが、古民家再生をもて栄やすのは、彼らにとっては、「民家」自体が希少な存在だからであって、田舎で畑を借りる、みたいな笑、プレミアかつ「地球と身体に優しい」笑、みたいな感覚で羨望のまなざしを受けているからですが、当の地方に住む私達にとっては、その辺にたくさん有り余っている普通の住宅であり、楢村さん矢吹さんなどの先輩が、それを建築設計の題材として選んで、新しい設計手法の構築に、猛烈に取り組んだ結果が、「古民家再生工房」の働きとして、結実して、この地域に一定の影響を与えています。そして、全然高くないのです。
 まとめれば、「欧州車」が「古民家再生(プラス、そこから得られた新築手法)」であって、「日本車」が、「メーカー住宅(に象徴される戦後住宅)」という図式が完成します。もっともこういうことは、単純化できるものではありませんが、単純化して説明することで、建築専門外の人には分かり易いものになります。
 
   
   
   

 ということで、今度クルマを買う時には、欧州車にしようと思います。安い中古車を買って、手を加えながら乗りたいですね。オープンカーとか、最高です。メルセデスの190Eもとてもよくて、捨て難いです。