トンガリ屋根への憧れ

トンガリ屋根。それは、最近見られない、トンガった屋根のこと。屋根の勾配がきつくて、普通の屋根とは区別して、三角屋根などと呼ぶ人もいる。

昔の屋根は、皆、トンガっていたので、地面から見ると屋根の面積が大きくて、いかにも「やねです」と主張しているように見えたものだ。大体の屋根は、葦などを筆頭に草で葺かれていた。後になって、葺き替えの共同作業が困難になり、「鉄板」という便利なものが普及してきたこともあって、草を鉄板で覆った家が今でも多くある。
ところで、なんで昔の屋根は、とんがっていたのかと言うと、それは簡単だ。トンガっていないと、雨が漏れてしまうからだ。今の家が、トンガっていないのは、トンガらせなくても、雨が漏らないからだ。つまり、雨さえ漏れなければ、いくら緩い勾配でもいいし、中東のある地域のように雨が滅多に降らないところでは、平らな屋根でもぜんぜん結構なのだ。

ほら、平らでしょ。日本ではあり得ないな。聖書の中には、イエスがいる家に病人を連れて行きたかったが、人が多過ぎて、入れなかったので、屋根を剥がして、そこから釣り下ろし、病人をイエスの目の前に連れてきた。なんて、くだりがあるんだけど、この写真のように、骨組みを木で平らに組んで、その上に土を葺いて、平らにした屋根だったに違いないと僕は思っている。

材料によっては、どんどんその勾配を緩くして行くことが出来るんだが、瓦よりも、鉄板の方が緩い勾配で屋根を作ることができるのは、皆さんも知っているでしょうか。そうでなくても、最近の瓦は、雨が漏れにくくなっているので、昔よりも、緩い勾配で屋根瓦が葺かれていることが多い。実際、勾配が緩くなると、面積が小さくなるので、材料代が少なくて済み、安上がりの屋根となる。そんなこともあり、今の日本の屋根は、かつてのようなトンガリ屋根ではなくなってしまった。

それで、だ。
今日の日本において、「トンガった屋根がいいわ」と思った時に、今まで書いてきた「トンガった屋根についての経緯」を忘れて、「屋根はやっぱり瓦だろう。」などと、安直に、いやごめん、お決まり通りに、日本人だし、耐久性もあるから、それに多少の見栄も混じりながら、「瓦がいいです」なんて、僕の前で言おうものなら、「そんなものはイカン!」「鉄板がいいに決まってる!ぷんぷん」と、少々怒り気味に答えてしまいそうだ。

というのは、「トンガリ屋根」の記憶、というものが、日本人ならあるはずだ、と僕は思っているからだ。(←ここ、だいじなところ)

かつて、先人達が、苦労して作り上げた、屋根の知恵に依れば、トンガリ屋根の材料は草、と相場が決まっていたのだし、寺院建築などの高級建物にのみ、瓦が使われていたことを考えると、僕なんぞが関わる仕事で、トンガリ屋根に瓦を使ってしまうと、どうも、「おおげさ」に見えてしまったり、「不釣り合い」に見えてしまうこと、請け合いだ。もっと下品にいえば、お城の様に見えて「成金趣味」だと、指を差されかねない。

だからといって、今の日本でトンガリ屋根をする時には、「葦を葺きましょう」などと言うつもりはない。「鉄板」がいいと思う。かつての技術をノスタルジックに辿って行くことは、それほど重要なことではないと思っている。重要なのは、かつての雰囲気を共有できるかどうか、という点だ。ここでいう「雰囲気」を「記憶」に置き換えてみると、よくわかる。多くの人が草葺き屋根を改修した急勾配の「鉄板屋根」を見ているのだし、多くの場合、銀色か、黒色か、サビ色、というのが、常だから、そういう雰囲気のが出る材料を選んで行けば、自然に見えて、景色に馴染むと言うか、景色に成れる家になるんだと僕は信じている。

だから、「トンガリ屋根がいいわ。出来れば、鉄板でお願いします。」というのが、模範解答だ。(これとは別に、「カラーベストを普通よりも三倍か五倍くらい重ねて、しかも、いろんな色を混ぜて、杮葺きみたいに出来ますか。出来ますよね?!」などと言う人はマニアックな人なので、今度一緒にのみいきましょうw。)