浦安の液状化現象を考えてみた

所属するキリスト教会から派遣されて、千葉県浦安の液状化現象の調査に行ってきました。ここには、仲間の教会があり、今後の対策を立てる為の判断材料を得る目的で、派遣されたのでした。以下は、教会向けのレポートを抜粋したものです。高専で土木を学び、今は設計屋さんですので、たまには、専門的なことを書かないと、何時も遊んでいるように思われるので(笑)、ここにも流します。予備知識として、浦安市による地域解説のページをリンクしておきます。写真は貼ってませんが、ネット上に動画も含めていくらでもありますので、各自ググってください。そのあたりの労力は省かせていただきます。

■はじめに
4月4日(月)10時から16時までの間、浦安教会にて建築土木的側面からの災害調査を行ってきました。教会が位置する浦安市今川は、浦安市の中でも一番被害が大きい地区で、建物に対する被害は少ないものの、上下水道、ガス、電気などの設備的生活基盤が、共に一時的に使用できない状態が続き、現在でも、下水道が接続されておらず、日常生活がままならない状態が続いています。

■建物群と堤防に挟まれ、道路が浮き上がる
液状化現象は、砂や、砂よりも小さい「シルト」と呼ばれるもので構成されている地盤が、地震で揺さぶられることにより、土中の土同士の力学的バランスが崩れて、液体(比重は1.3から1.5程度。水は比重1.0)のようになる現象を言います。特にこの浦安教会が位置する第一期埋立地区は、教会のすぐ目の前の古い堤防を先に作り、その内側に海中からくみ上げた砂を投入していくという、埋立工法としては古典的な工法で行っていた為、地震が起こった時には、「舟が揺れるような」(牧師談)感覚で大きく揺れたとのことでした。
教会は、第一期埋立地のうち、一番海に近い外周部分に位置していましたが、この為、教会の後ろに控えている建物群と、目の前の堤防との間に挟まれた、道路部分が、異常に隆起したものと思われます。建物群が少しずつ沈み、堤防がそれをせき止めていた為に、間にある道路部分が浮き上がった、というのが、今回の道路隆起現象の仕組みであろうと思います。
液状化を起こした地震は、3月11日2時46分に発生した宮城県沖の地震(M9.0)によるものでしたが、震源地が北にありますので、浦安の第一期埋立地の南端に位置する浦安教会とその目の前の堤防に対して、北側から押し寄せる液体化した地盤が大きくぶつかって行き、結果として、教会の建物も、東西方向ではなく、南北方向に大きく傾いたものと思います。また、地震の揺れが、数秒に一回の周期で揺れる「長周期地震動」と呼ばれるゆっくりとした揺れであった為、液状化が促進された可能性もあります。その揺れとは、海の上で正面から波が来た時に、縦方向に舟が揺れる感覚が、体感されたものと思われます。
なお、他の地域で、マンホールなどが道路から飛び出している写真を見た方もおられると思いますが、あれは、液体化した地盤の比重よりも、マンホールなどの構造物の比重が軽くなったために、異常に浮き上がったものを思われます。なかには、二メートルほど道路より飛び出していたものもありました。

地震の震度について
浦安市では、「震度5強」の震度を震度計により計測したことが公表されています。浦安市の管理する地震計は(地震計は各自治体の責任で管理することになっています)、浦安市役所(浦安市猫実)に設置してますが、この場所は、旧市街(通称元町地域)から埋立地を臨む、昔からの地盤の上に立っています。そのため、より地盤が緩く、揺れが増幅される傾向のある、教会の位置する第一期埋立地域(通称中町地域)は、「震度5強」よりも、より大きな揺れが体感されたはずであり、「震度6弱」などの揺れが起った可能性が高いです。
また、今回の宮城県沖の地震の規模マグニチュード9.0は、「1000年に一度の大地震」と言われていますが、千葉県新浦安地区にとっては、震度6前後の揺れの地震であり、この程度の震度は1000年に一度ではなく、ここ数百年のうちでも起こっていた震度にあたります。
すなわち、1703年と1923年(関東大震災)に起こり、200年程度の周期で繰り返されるといわれている「関東地震(小田原地震とも呼ばれる)」、あるいは、1707年、1854年、1944年に起こり、100年から150年の周期で起こるとされている「東海地震」などの巨大地震が起きると、政府機関の予測では、千葉県浦安市でも「震度6強」が予測されています。このレベルの巨大地震が来た時には、今回のような酷い液状化がまた起きるのか、それとも、「長周期地震動」ではない場合は、今回被害の少なかった建物の被害が増えるのか、より専門的な考察が必要だと思います。