プロテスタントの教会堂を知る(1/3)

【はじめに】 私たちが毎日曜日,礼拝をしている教会堂について,三回にわたってお話ししたいと思います。

 まず,皆さんが日頃座っている教会堂を思い浮かべてください。部屋は縦に長くて,真ん中に通路がありベンチが並んでいる。前の方に少し段があって,説教台がある。天井には蛍光灯があり,壁にはアルミサッシュの窓がある。夏には冷房,冬には暖房のお世話になる。もちろん司会者や説教者の声はマイクとアンプと,スピーカーで増幅される。皆さんの教会堂は大体こうだろうと思います。とても近代的で,快適です。そして,忘れてならないのは一人に一冊ずつ日本語の聖書があり,礼拝中に話される司会者や説教者の言葉で理解できないものは,まずないのであります。

 今日では,苦労しなくとも快適な環境が得られ,苦労しなくても日本語の説教は(牧師の話が難しくなければ)理解できるのであります。中世の教会堂を私たちが見て,美しいと感じるのは,そういう良い環境や母国語の聖書がない中で,どうにかして快適な環境を得ようとし,どうにかして五感に訴えて聖書のメッセージを伝えようとした先人たちの努力の結晶だからなのです。

 教会堂を考える場合,上に書いたような人間に心地よい環境のことと,説教に代表される礼拝プログラムが円滑に行われることを同時に考える必要があります。ここでは,後者の視点,言ってみれば礼拝学に近い視点から,プロテスタントの教会堂の歴史をごくごく簡単に書いてみようと思います。

【改革された教会堂】 宗教改革者たちが活躍した土地では,各都市に中世からの教会堂がその土地のシンボルのように建っていました。その既存の教会堂を改革者たちの神学に従って,彼らの礼拝に相応しく改造することが,宗教改革時代のドイツやスイスの教会の課題でした。いわば,教会堂も,「改革」されたのです。

 カルヴァンが牧師を務めたジュネーヴのサン・ピエール教会が,その代表例です。ここはカルヴァンの指導により,1541年に改造されました。

 改革時に取り除いたものは以下の4つ。聖職者と会衆の隔ての象徴であるルード・スクリーン,人間の罪に対して怒る神をなだめるものとしての祭壇(聖餐台),そして主教座と聖歌隊席です。改造後は,説教台を十字架平面の中心部に移し,これを取り囲むように会衆席を設けました。聖餐台は,聖餐時のみ設置されました。これらの背景には,ローマ教会の礼拝にあったカノンを取り除き,「最後の晩餐」のときの聖餐に戻ろうとしたこと,神の言葉を語る説教という行為が神の霊的な働きを行うと信じたこと,また母国語で司式と聖書朗読,説教を行ったことであります。総じて言えば,礼拝を会衆のものに取り戻したのです。

【初めてのプロテスタント教会堂】 ドイツやスイスのように新しい信仰を公に言い表すことが許された地域では,一都市のシンボルであった中世教会堂を改造することができました。しかし,フランスのユグノーが置かれた状況は違いました。今日でもそうですが,フランスはカトリック信徒が多い国です。ユグノーの人たちは,迫害厳しい当時のフランスにあって,自前で教会堂をつくらねばならず,それゆえ,ここに初めてのプロテスタント教会堂が生まれたのです。

 1559年,「ユグノー」として知られたフランスのプロテスタントたちは既に72の教会を持ち,パリにおいて第1回総会を持ちました。賛同者は40万人とも言われています。彼らは,スイスに近いフランスの南東部に多く住み,リヨンには1554年に3つの教会堂が建てられました。この3教会は反対勢力によって破壊されましたが,1564年には,パラダイス教会の教会堂が新たに建てられました。

 パラダイス教会は円形平面を持つもので,聖餐台とその上に高く掲げられた説教台は,中心からずらして配置され,2階席も設けられました。ここにも改革者たちが唱えた「礼拝のすべての出来事を,会衆が見ることができるように」という主張を見ることができます。

 ユグノーの教会堂で特徴的なのは,当時の世界で既に存在し世に広くひろまっていたバリシカ式の教会堂ではなく,集中式教会堂を採用したことです。初期キリスト教時代においては,当時のキリスト者はローマの神殿建築ではなく,公共施設であるバシリカを選びました。宗教改革時代にも,新教が旧教と同じ型を選択することを心情的に避けた,という状況があったかも知れません。しかしそうではなく,むしろ礼拝の際ベンチに座り,礼拝のすべての出来事を見,聞くことができるよう懸命に努力した結果が,(次回に見るように)円形・楕円形・八角形などの多様な平面の創出につながり,ギャラリー席を設けることへも,つながっていったのであろうと私は思います。

 そしてこの点は現代に生きる私たちへの教訓です。つまり,私たちの毎週の礼拝をより良いものに高め,吟味していくことが,それを行う場所である教会堂を考えることにつながるということです。

(バイブル&アートミニストリーズ ニュースレター,2001年9月20日号,写真図版は割愛)