プロテスタントの教会堂を知る(2/3)

【各国教会堂巡り】 今回は西ヨーロッパ各国の教会堂を駆け足で巡ってみたいと思います。ルター派,改革派,英国国教会ピューリタン,の順で概説します。

ルター派》ドイツにとっての16世紀は,農民戦争(1524-25),シュマルガルデン戦争(1546-47)等数々の戦争,急進的な改革とそれに伴う動乱,大火,都市の拡大と成長などがあり,多くの教会堂が取り壊された時代でした。それと共に様々な教派が興ってきたことで,教会堂の必要が高まり,17世紀以降,各教派の目的に合うように設計された特徴のある教会堂が次々と建てられるようになったのです。

 最も大きな変化は,祭壇の位置を変えたことでした。それまでは会堂の一番奥のアプスにあった祭壇を,既存教会堂の増改築の場合は後期ゴシックから続くホール型教会堂の中央に移し,新しく建てる場合は長堂式を忘れて,L字型/T字型/多角形/円形という多様な平面の交差部・中心部等に祭壇を配置しました。ここでは祭壇(聖餐台)から出発して,内から外へ会堂が計画されました。つまり3次元的に,いかにして聖餐台に近づくことができるか,という観点から設計されたのです。これは,同時期にローマで,免罪符が資金源の新しいサン・ピエトロ大聖堂が完成しようとする頃と重なっており,建設目的・計画手法共に,対比的でさえあります。

 ここでは,L字型平面を持つシュヴァルツヴァルトのフロイデンシュタット教会(1601-08)と,星形の腕の先を丸くしたような斬新な平面を持つベルリンのゲンダルメンマーケット教会(1701-03)を紹介します。前者は2階まで,後者は3階までのギャラリー席がありました。

《改革派》改革派の建築は,ユグノー戦争(1562-98)を代表とする数々の動乱・革命のため現存しているものが少ないのですが,上述のルター派と同様に,典礼空間を中心に構成・計画されているという点では変わりません。ただ,図像否定と禁欲主義により,ルター派の教会堂を華やかに飾っていたバロック装飾はありません。しかし,改革派教会堂は当時の建築デザインの外にあったために,簡素でありながらも現代教会堂が学ぶべき多くのものを持っています。日本へは,アメリカを通じて簡素な部分だけが伝わりました。前回では,ユグノー教会堂が,初めてのプロテスタント教会堂であったと述べました。その他の改革派の教会堂を見てみましょう。

 フランスのセーヌ川河畔のルーアン・グランクヴィイ教会は,円形平面で直径30mの大会堂でした。内部には3層のギャラリーがあり,7千人を収容できたと言われています。
 スイス・ジュネーブのシェン・ブジュリー教会(1756-58)は,小さいながらも改革派教会堂の傑作だと私は思っています。楕円形平面に隙間なく並べられた会衆席は,一心に聖餐台と説教台の方を向き,緊張感のある礼拝空間を形造っています。ギャラリー席も設けられています。

 チューリッヒ湖畔のホルゲン教会(1780-1782)は,楕円形を2つ重ねた平面の中央に洗礼盤を配置しています。天井には微かにバロック調装飾があり,プロテスタント教会堂にありがちな,陳腐さを打ち消しています。点線部分は,ギャラリー席を示していて,ギャラリー席だけで400人収容できます。

 16世紀後半に独立したオランダは改革派教会堂の豊富な土地です。アムステルダム駅近くの北教会(1620-23)は,その典型で4つある内の一つの柱に説教台を付けて,それを取り囲むように会衆席を配置しています。

 これら上記3つの教会堂は,修復を繰り返しながら今日も使われ続けています。それゆえ,一時的・過渡的な建設であった訳ではなく,広く数世紀にわたって共有されうる教会堂となっていることがわかります。

英国国教会ピューリタン》 1666年のロンドン大火の後,大建築家クリスファー・レンは,今日シティと呼ばれている地区の再建を任されます。レンは,52もの会堂を設計監理しましたが,ここでは国教会の代表例として,セントステファン教会(1672-87)を紹介します。当初は正面に祭壇がありましたが,現在では中央に大きな石があり,それが祭壇となっています。写真の通りに会衆席は石を取り囲むようになっています。点線はドームです。

 同じくロンドンのトラファルガー広場にあるセントマーチンインザフィールド(1722-26)は,当時の建築デザインの最先端で,且つアメリカの教会堂・小学校への影響が大きかった重要な建築です。ギリシャ神殿+尖塔というこのスタイルは,日本でもよく見かけることができます。

 ピューリタン教会堂として,ウエスレー兄弟の八角形教会堂を紹介します。彼らは説教を聞くことと同時に,最大限の人を収容するために最も相応しい建築として,八角形教会堂を数多く建てました。

 以上,各地の教会堂を概観しましたが,ここには私たち日本人がイメージする教会堂は,姿を現しません。日本人は,簡素なピューリタン建築と,19世紀半ばのイングランドで起こったゴシックリバイバルの影響を多分に受けています。この影響を問題化し俎上に載せないと日本の教会堂の質は高まらないとさえ,私は思っています。次回はゴシックリバイバルと近代の教会堂を見てみましょう。

(バイブル&アートミニストリーズ ニュースレター,2001年11月20日号,写真図版は割愛)