プロテスタントの教会堂を知る(3/3)

【ゴシック・リヴァイヴァル】 150年前のイギリスでは,中世のゴシック様式を模した教会堂が数多く建てられました。いわゆるゴシック・リヴァイヴァルと呼ばれるこの風潮は,カトリック教会,英国国教会,さらにはプロテスタント教会へと広がっていきました。

 その頃のイギリスには,産業革命によってもたらされた様々な弊害を嫌い,解決策を中世に求める人が多くいました。建築のみならず,諸芸術もそうでした。教会堂に関しては,ケンブリッジ・キャムデン協会が特に熱心で,彼らはカトリック信仰を擁護し,中世的な礼拝儀式を復興しようと企てました。また英国国会議事堂の装飾を担当したピュージンという建築家の建築論に共鳴し,国教会にもゴシック様式を適用するべく,盛んに活動したのです。彼らの活動はおそらく彼らの予想を大きく上回り,非常に成功しました。ヴィクトリア朝の繁栄の中で豊かであったことも働いて,教会堂を中世風に造り替えることが流行したのです。カトリック教会と国教会の教会堂が真っ先に中世風になり,プロテスタント諸派もそれに続きました。プロテスタント内で中世風にしたいと思った人たちの願望は,礼拝に対する深い理解によるものではなくて,「私たちにも教会らしい建物が欲しい」といううわべだけの願望でした。

「ゴシックが唯一のキリスト教建築である。すべての教会は,どのような種類・大きさ・かたちであろうとも,明確な内陣を持つべきであり,それは少なくとも身廊の3分の1の長さを持つべきである。さらにそれを区別するために内陣入口にはアーチを設ける。またそれができなくともスクリーンと壇は必ず設けなければならない。」(ケンブリッジ・キャムデン協会の機関誌『教会建築学』(1842年)の「編集ノート」から一部抜粋)

 このことは,前回までに見たようなプロテスタント教会堂の様々な展開とは逆の流れです。最初期のリヨン・パラダイス教会(1564)から400年の間,先人たちはプロテスタントの礼拝に相応しい教会堂をいくつも考えてきました。しかしここに至って,当初の理念は失われ,時代の風潮に流されたのです。このことの背景には,「進学のスコラ化」とか「死せる正統主義」と呼ばれる神学界の低迷があります。教会は根なし草になり,時代に翻弄されました。
 1870年代から日本へもプロテスタントの宣教師がやってきますが,上記に加えて,アメリカのリバイバル運動の影響もあり,日本では第二回に登場したような教会堂は姿を現しませんでした。

【近代の教会堂】 19世紀末から,鉄とコンクリートとガラスによる新しいスタイルの建築が現れ始め,第一次大戦後から本格化します。それは近代建築と呼ばれます。近代の教会堂の特徴は,宗教界と建築界の二つの面から語る必要があります。宗教界においては,教会内において進行していた典礼改革・礼拝刷新運動が成果を得て,礼拝空間を変える必要が生じたことです。それはゴシック・リヴァイヴァルのようなうわべだけの儀式主義・装飾主義とは違っていました。建築界においては,それまでの歴史主義建築の設計法から開放された建築家が,一つの建築の奥深くに踏み入って設計できるようになったことです。またもう一つの注目すべきことは,教会堂におけるカトリックプロテスタントの区別がほぼ無くなくなり,両者が互いの建築から良い示唆を得ることができるようになったことです。

ドミニクスベーム》 数多くのカトリック教会堂を設計したドミニクスベーム(1880-1955)はドイツ西部を中心に設計活動を行いました。彼は,1922年に「理想教会」と題する計画案を描きました。楕円形平面を縦長に使用するもので,二重の列柱が祭壇と会衆をぐるりと囲むように配置されています。会衆は祭壇を囲みつつ,自らも二重の列柱に囲まれているという一体感を得ることができます。この計画案は1955年に息子のゴットフリートによって実現されました(聖アルバート教会)。

《オットー・バルトニング》 オットー・バルトニング(1883-1959)はプロテスタント教会堂を数多く設計しました。彼も,ベームと同様,ドイツ西部を中心に設計活動を行いました。彼はベームに3年早く,1919年に「星形教会」と題する計画案を発表し,それは1930年にほぼ同じかたちでエッセン郊外に実現しました。

 エッセンのキリスト復活教会は,円形平面を持ちます。中心に洗礼盤,その背後に聖餐テーブル,さらに後ろに説教台が配置されています。会衆席は洗礼盤を中心にして,同心円上に階段状に回されています。

 典礼空間を中心にして,それを囲むように教会堂を計画していく手法は,宗教改革の時代の改革者たちが提唱したことでした。バルトニングは,円形にすることによって,この理念をとても分かり易く表現しました。骨組みを鋼で造り開口部にガラスを嵌めたこの教会堂は,最初の近代教会堂として記念すべき建物となりました。

ル・コルビュジェのロンシャン巡礼教会》 コルビュジェ(1887-1965)は近代建築の巨匠ですが,後期代表作であるロンシャン巡礼教会には,礼拝刷新の影響が色濃く見られます。巨匠の影に隠れて,教会堂としての意義があまり語られませんが,教会側の強い希望がなければあの教会堂は実現しなかったはずです。この教会堂には,野外で礼拝をするための場所があり,そちらも良い典礼空間を作りだしています。

【おわりに】 今,日本の書店に並んでいる西洋建築史の本には,今まで書いてきた内容は書かれていません。そこでは教会堂を題材とした様式論や作家論の展開をしています。しかし,教会堂の歴史をみる場合は,教会堂とは礼拝という集会を行うための場所である,という視点が欠かせません。その視点から教会堂の歴史を捉え直し,今日の教会堂建築に活かすべきだと私は思っています。

 3回連載の場を提供してくださった町田氏に感謝いたします。今春,私は郷里の倉敷で建築設計の現場に入ります。蔵屋敷に囲まれながら,日本における教会堂についても興味を持ち続けたいと思います。

(バイブル&アートミニストリーズ ニュースレター,2002年1月20日号,写真図版は割愛)