船出

この度、私、山口晋作は、7年あまり勤めさせていただいた楢村徹設計室を退職することとなりました。希望とともに不安な想いがよぎることもありますが、小さいところから少しずつ進んで参りたいと思っております。まだまだ半人前ではありますが、自分のかたちを作っていけるよう、努力します。

今日は、最後のお説教を優しい笑顔とともにいただき、いつもの楢村哲学を頂戴しました。恩を受けた人に恩返しをするというのは、並大抵のことでは出来ません。せめて出来るのは、その方に恥ずかしくないくらいの仕事をすることや、次代の人に自分が受けたものを伝えていくことくらいでしょうか。いつか、自分は小浦辺かもしれんが、あんたは小楢村にはなるな、と言われたことがあります。浦辺鎮太郎さん(故人)は倉敷を代表する建築家ですが、浦辺さん自身は昭和の怪人村野藤吾さん(故人)を尊敬し、直接に師事したことはありませんでしたが、おりに付けて相談し、その設計エッセンスを受け取っていたようです。倉敷考古館増築、大原美術館分館、倉敷アイビースクエア、倉敷国際ホテル、倉敷市庁舎、倉敷中央病院などが浦辺さんの代表作です。これらは倉敷の人ならだれでもが知ってる建物です。楢村さんは大学から社会にでるときに、浦辺設計に行きたかったようですが、タイミングが悪く、就職浪人するほどの余裕もなかったので、しぶしぶ地元の建設会社へ進んだようです(これは本にも書いてます)。同じ倉敷を地元とする楢村さんには、浦辺さんの存在は巨大だろうと察します。ここまで数多く公共建築を作られて目の前に並べられたら、わしは小浦辺か、と思わず口から出たのでしょう。楢村さんが小浦辺ならば、浦辺さんは小村野といえるでしょうか。公共的な性格を持つ建物を倉敷中心部に持たない楢村さんにはどうか近い将来その機会が恵まれますようにとお祈りしています。そして古民家の再生で得た理論を、個別の建物にではなく、大きな街区として実現できるよう願います。

退社祝いに楢村さんと所員の皆様から、丹下健三藤森照信丹下健三』新建築社、を頂きました。藤森さんの建築史家としての集大成です。丹下健三さん(故人)はあまり話さない建築家としても知られていて、ご自分もそのことを気にしていたのか、世を去る前に信頼できる人にすべてを書いてもらおうと藤森さんの願いも相まって、この本が出来たようです。丹下か村野かといわれるくらいの双璧として昭和時代にしのぎを削っていた二人が、今日は身近に感じました。僕には大建築家になれるような素質はありませんが、児島のヤマグチさん、と呼ばれるくらいにはなりたいなと、今から歩み始めるところです。長い長い道のりです。みなさまどうぞよろしく。