自邸解説「ドソクの素材感」

分かりにくいタイトルだけど、なかなか適切な言葉が出てこない。人は靴を履いていると、ガザガザした素材でも受け入れられると思う、ドソクだと木との距離感が変わるはずだ、というのが設計時の仮説だったんです。

僕の家は、「荒削りの」という形容詞が付いています。デザインした人が若いという意味での「荒削り」という意味合いもあるのですが、本当の意味は、木材の表面の仕上げ方のことです。

普通木材の表面は、最低三回の加工を加えられます。丸太の状態から、のこぎりで必要な大きさに切るのが一回。荒削りのカンナ掛けをするのが二回目。仕上げのカンナ掛けで三回目。この三回目をすると、木の表面が、つるつるした面になり、頬ずりしてもいいくらいのものになります。その辺にある柱が見える(これを真壁といいます)木造住宅は、このレベルの仕上げ方になっています。

それを自邸では、2番目で止めてください、と大工さんにお願いしました。大工仕事にとってのカンナ掛けというのは、これが出来れば一人前と言われるくらい、大工仕事の代名詞の一つになっています(他には「墨付け」くらいかな)。薄削りカンナ掛け選手権みたいなものがあって、できるだけ薄く長く削ることを競う大会もあるくらいです。僕の家の大工さんは注文住宅を日頃やっていて、カンナ掛けを当然のようにしている人です。その人に向かってカンナを掛けるなというのはせっかくの仕上げの楽しい工程を奪うようなものですが、理由を説明してやめてもらいました。

なんでこんなことを考えたかというと、やっぱりお金の問題です。木造住宅の値段は大工さんが働く労力に大きく左右されるので、この3回目のカンナ掛けはしなくていいよというと、大工さんとしては楽になって値段も下がるというわけです。屋根に使う「垂木」と「野地板」に至っては、材木屋さんから運ばれて来たそのままを載せています。つまり二回目の加工もしていないんです。トラックが材木屋からやってきて、僕の家の脇に付けて、荷台から屋根へそのまま渡していました。横で見ていて、奇妙な光景でした。

本題です。1階の床を作るお金がないから、床は作らずに、モルタルを塗るだけにしようと家族には説明しましたが、もう一つの理由は、ドソクで歩ける状態にしてあげると、木の表面が少々ガザガザしていても、見た目に耐えられるのではないか、という仮説を確認したかったのです。

結果はバッチリでした。土間を作ること自体、それなりの理屈を考えていたのですが、木材加工のことを同時に実験できたのは、幸運でした。これからの僕らの世代では、技術を持った大工さんがどんどんいなくなります。既に左官さんの人材は危険な状態ですが、次は大工さんです。木の質も悪くなるでしょう。そういった状況と同時にいつも戦っている値段の問題が重なってきたときに、良い解決策はないかと図面を書いているときに、そうですねもう2年くらい前になります、考えていました。近頃の木造住宅というのは、柱が見えない家(これを大壁といいます)が多いのですが、そう言った家の木材は、荒削りの段階で止めているんです。その大壁の家と同じ仕上げで、真壁の家を造ろうというのが僕の魂胆なんです。さらには、僕の親世代なんかは、節のないいい木を使うことが、いい家を造ることに直接繋がっているかのような信仰を持っているのですが、そんなことは関係ないのだと、結局はデザイン力なのだと、わからせてやりたい、という気持ちもありました。

写真では、その素材感が分かりにくいですが、もう一度fotologueの写真をご覧ください。あっ、これを機にまだ来ていない人はどうぞおいで下さい。近頃は平日昼間も自邸にいますから。最近、奥の庭には子供用の砂場を作って、さらに芝生も植えました。木々も芽をふいてきています。