好きをやり抜く

「シンサクのパパ、シンサクのパパ」と後ろで長男が寝言を言っている。「はいはい、パパのシンサクです」といいながら、はだけた布団を直してあげて、ノートパソコンにまた向かい合う。寝室の隅っこに中学校から愛用している勉強机を置いて、そこで自分の時間が繰り広げられます。だいたいスタートするのはこの時間くらいから。妻のiMacと僕のMacBookが並んでいて、ネットに向かったり、勉強したり、本を読んだりと、この机で何でもする。そう言えばこの間、クラッシュジャパンの赤星さんの取材旅行報告会で、この机を昔買った家具屋さんの息子が来ていて、今も愛用してますと、話したことがあった。地域の繋がりというのは嬉しい。そう言えばこのデスクライトもその頃から使っている。どこで買ったかはわすれた。

さて、1975年生まれの僕らの世代は、中学、高校くらいがバブル期と重なっていて、大学を卒業して就職する時には、「超氷河期」といわれたほど、職に就くのが難しかった。難しくてそのまま職に就けず、アルバイトばかりしている人が後にニート第一世代と呼ばれたりもした。でも、活躍している人ももちろんいる。同年生まれの芸能人スポーツ選手を挙げてみる。田村亮子神田うのベッカム上原浩治川口能活チェ・ジウ、アンジー内田有紀米倉涼子坂口憲二中谷美紀本上まなみ。その他大勢。学校に通っていた頃は、「個性を大事にしろ」とよく言われていた。きっと、今挙げた人たちも言われていたはずだ。「個性を大事にしろ」というのはその頃の大人がいいたがる言葉だったんだろうとおもう。また「好きなことを見つけろ」とか、「自分のやりたいことを探せ」とか言われた。実際社会の荒波にもまれてみると、「自分の好きなこと」や「自分がやりたいこと」は、必ずしも「自分のできること」と一致しないことがよくわかる。今年も、就職状況は大変なようだ。内定をもらっていても、取り消される事件もあるらしい。被害に会った学生は相当ショックだろうが、ショックな理由は、日本の会社が新卒プロパーを重視しすぎる傾向が強く、フリーターから就職とか、転職とかはあんまり歓迎されない風潮があるからだ。自分の好きなことをしていて、充実感が得られたり、大儲けはできなくても、少々の収入があるようなそんな生活は誰だってしてみたい。でも、自分の好きなことをしてお金がもらえることほど難しいことはない。周りから見ると楽しそうに見えるかもしれないけど、実際必要経費をひいて、さて、利益はいくらかしらと勘定してみると、顔が青くなるのがオチだ。

もう長い間、ネット世界で生きている。15年間だ。それがここ5年くらい、インターネットの世界で新しい生き方が生まれているように感じている。最初のニュースはリナックスの成功だった。大企業マイクロソフトに対抗して、全世界の精鋭たちが無償の愛を注ぎだすかのように、自分たちでOSを作ったのだ。ソースをオープンにして、いつでも誰でもが、自分にできる範囲のことをして、無報酬で作り上げたOSだ。またこれに倣うカタチで、最近、マイクロソフトオフィイスのワードやエクセルといった定番ソフトも善意の力で作り上げられ、無償で公開され、僕も使っている。その他調べればこの種のものはどしどし出てくるだろう。こういうソフトを作る人たちは、とにかくプログラムが好きで好きでたまらないのだ。こういう作業をオープンソースで仕事をするという。この感覚が新しい生き方で、ミクシーのコミュニティなんかもそれに近いものがある。いろんなコミュニティでは、あなた、専門家ですか、と問いたくなるような人がわんさといて、惜しげもなく助言をし、助けを受けた人は感謝している。ちなみにミクシーの笠原社長は1975年生まれだ。

実社会でもオープンソースに加わるように、仕事をして、経費くらいは報酬をもらう、というタイプの職業観が出てきているはずだ、しらないけど、あるはずだ。僕は人間とはそんなものだと肯定的に捉えている。そうなれば、自分の好きなことを、仕事外の時間にやっていて、喜びを見いだして、その後本職にして、好きなことをやり抜いて、やり抜いて、やり抜いて、自分も周りもハッピーにしていくという人も現れそうだ。楽天的すぎるかもしれないけど、そうなってほしい。ここで、学生時代に読んだモースの『贈与論』を思い出した。世の中は贈り物を贈り合うことで成り立っている、とした人類学の古典だ。オープンソース的生き方は、自分の持てる力を出し合うことで、成り立つ世界だ。ネットに親しんだ世代は、善意を前提にして、自分の好きなことをとことん追求して、やり抜いた上に幸せを周りに振りまいて生きてほしい。自分がそうなりたい。