7で区切る7つの時代

今年で34才になる。自分なりに人生の長い時間を考えてみた。10年区切りに7の数字で考えてみた。0−7:育てられる時代。7−17:遊ぶ時代。17−27:学業に専念する時代。27ー37:仕事の時代1。37−47:仕事の時代2。47−57:仕事の時代3。57−67:仕事の時代4。67−77:老後の時代。

ざっとこんなもんだ。別に根拠はないが,年の初めに当り,そんな気持ちになった。7才までの時代を除けば,10年単位で7つの時代を過ごすことになる,と考えてみる。77才以降、生きながらえたら、あんまり難しいじいさんにならずに,周りの人に幸せを振りまけるような人になりたい。

それで今は、「仕事の時代1」のうちの中盤を歩んでることになる。まだ序の口と言ったところだ。その序の口の段階で自分の仕事の方向性を定めることが必要なんだろうと思う。定めるというか、模索する時代であるべきだろう。定めるのは「仕事の時代2」でいいだろう。そして次の時代「仕事の時代3」には、「◯◯ならばヤマグチさん」と言われるような状態になっていたい。あくまでも願望だけど。

この間,「かんぽの宿」が一括してある企業に売られることが決まり、それに対する批判の声が政府内から上がってるらしい。その買い手が、郵政民営化を検討してきた政府の会議の委員だったことから、国民の理解が得られないんじゃないか,という見方の批判だ。なるほど、確かにそうだ、でもその批判が政府内から出てきたというのが,新しいように思う。というのは、昨年後半に起こった金融大変革の影響として,もうアメリカから日本に資金は流れないだろうという見方があって、いままでのような、行政改革構造改革を行ったところで,誰も得はしないんじゃあないか、アメリカに媚びへつらう必要はないだろう、ときっと頭のいい霞ヶ関の人は考えたに違いない。それで、監督官庁総務省が「そんな宿,認可しないかも」と言っているのだ。きっとそうだ、僕でも分かるぞ。

人生悟ったような口調で話してはいけないということは,中学の頃学んだ。でもその中学の頃の女友達にこの間,面白いことを言われた。年末の同窓会の席上、仲の良かった女の子に今の生活を色々聞いていたときだ。その子と僕は二年生、三年生と同じクラスでしかも二人ともその2年間、ずっと学級委員という役割をしていた。そう、僕はそんなキャラだ。いわゆる恋愛感情みたいなものはついぞ芽生えなかったが,尊敬できるいい友達で卒業してからもたまに連絡を取っていた。こんな会話だった、「それで、◯◯の旦那はなんしょん?」「公務員」、「どんな?」「ええ?!、いわん」、「いやあ、ええが」「いやじゃあ、しんちゃんに話したら、いろいろいわれるけん、話さん。ここでおわり」、「おおー、おもしれえ、なるほど」と僕は言った。彼女は見抜いている。例えば「高校の教師」といえば、ああ言われるだろうし,「警察官」と言えば、こんなことも言われる。「国家公務員、しかもキャリア組」なんて言おうものなら,それはもういろんな議論が始まってしまう。彼女は一言,「ワタシ、幸せよ」と言った。幸せ,なんと言う強力な言葉だ。同窓会の席上ではこれ以上の結語はない。これを言われてしまえば、すぐに理屈じゃない世界に引き込まれる。

彼女は教えてくれた。いつまでも知ったかぶりで話していけないし、相手が話すのを躊躇するような雰囲気を出してはいけない。かんぽの宿がどうのこうのと、政治経済ネタを語る癖もやめたほうがいいかもしれない。「仕事の時代3」に「知ったかぶりのヤマグチさん」とか、「悟り口調のヤマグチさん」と言われかねないから。