ルーツを辿る

結婚する前だからもう5年以上前になる。当時付き合っていた今の妻を連れて、山口家のルーツをたどるぞ,とか言いながら,兵庫県の播磨の山奥に行ったことがある。学生の頃、友人が名字や家紋のことに詳しく,そういう本には住んでる地域や名前でその人の先祖がどこから来たのか,分かるということを聞いた覚えがあった。それでその手の本を手に取って,調べてみると,どうやらその辺らしかったのだ。中国山脈を越えて,日本海側の港で住み,そのあと、北前船の航路を通って下津井に来たというのが僕の勝手な想像だ。その村には,山口神社という神社があって、確かにそこら中にヤマグチさんがウヨウヨしていた。本当は村役場に行きたかったけど,休日のためしまっており,神社の前で記念撮影をしておしまい。そのあと、気持ちのよい公園を散策したり,せんべい屋さんでせんべいと建物を堪能したりしたのでした。

もう、終わりじゃのう。94歳になる祖父が言った。今でも仕事がしたいがぁ(仕事がしたいなあ)。とも言った。父と二人で祖父のいる施設に行ったときのことだ。今回は,仙芳丸(せんよしまる)の前の代の船が、政勢丸(まさせまる)という名前だったことを初めて聞いた。祖父と会うときはいつも決まって,僕の方から昔の話を聞いている。お前の嫁は、何の仕事をしよんなら?,お前は何の仕事をしよんなら?という質問をたびたびする祖父は,昔話になると,滑るように話しだす。アナゴとハモを朝鮮から積んで帰っていたこと、賢い弟を戦争で亡くし辛かったこと,戦争が終わって朝鮮に行けなくなり,狭い瀬戸内海の中で,ワカメやウニ、タコなどをとっていたことなどなど、何回も聞いたことのある話だが,僕は楽しく聞き返している。

その祖父が、自分の子や孫が海の仕事をしていないことに改めて気付き、でも、もう海の仕事では生活が成り立たなくなっている現実も分かっているので,それを受け入れた様子で,感慨深げに言ったのでした。

もう、終わりじゃのう。海の仕事も、もう終わりじゃのう,いけんのう、終わったのう。祖父があまりにも気持ちを込めて言うもんだから,僕は目頭が熱くなった。僕は、ひとこと、そうじゃなあ,というのが精一杯だった。父は天を見上げていた。

仙芳丸は、祖父の父、芳松の時代に生まれ,初代から順に,生船(なません、生きた魚を運ぶ船の意)、釣り船、渡船とその業態を換えていった。今度祖父に会うときには,また新しい仙芳丸が船出をするよ,と報告したい。