通勤渋滞経済学

毎朝児島味野から,倉敷の中心部へ車で通勤している。決まって込むのは,水島コンビナートへ続く道との交差点と,国道二号の高架下だ。それぞれ大量の自動車が走る道なので,混むのは分かり切っている。でも、その信号で止まっていてこの間、不思議な感覚に見舞われた。

それはちょうど子供が遊ぶような鉄道レールの上を走るおもちゃを親が眺めているような感覚で,なんだか自分自身が人ではなく,ものになったような気分だった。児島から倉敷へたくさんのものが走っている。自分もその一員。他にも一台に一人ずつ、人が乗っている。運ぶものは人で、児島の人なのに,児島で働くのではなく,倉敷の中心部へ向かっている。それで、当たり前だが,これだけの人材が児島から外へ出て行ってるんだという現実と,児島で働くところがないんだなあという逆の現実に気付くのでした。

高密度に都市機能が集積しているような町では,電車やバス、地下鉄、時には自転車が移動手段として活躍しています。僕が住んでいるような地域では,「車がないと生活できない」とよく言われています。昔は自分の家で職人的な仕事をしたり,小売業をしたりといった具合で、仕事場と住まいが接近したような住まい方が一般的でした。いつごろからでしょうか。働く場所が自分の住まいからどんどん離れていって,よそ様の家で自分の心身を捧げて、お金を得るようになったのは。

そんなことばかり考えて車を走らせているわけではないのですが,その日はそんな日でした。ちなみに、BGMは安室奈美恵の「Best Fiction」です。