建築は人、土木は国土

土木工学科の学生だった僕は、通っていたキリスト教会が新しい教会堂を新築するという事業を進めていく様をみていて,これは土木よりも面白そうだといって,鞍替えをしたわけです。高専5年生の際の卒業論文は,力学専攻の研究室へいきましたが,「ヤマグチはもう土木はしないんだから,べつのことをしたら、どうだ」といわれて,当時騒がれ始めていた環境問題全般の概要と高松地域の酸性雨の実態を調べることにしました。その時点での調べれる範囲での文献をあさり、砂漠化とはこういうことです,温暖化とはこうです、などなど偉そうなことを書きました。酸性雨の調査では,高松市内数カ所に設けた調査地点において,雨が降るたびにバイクを走らせ,Ph値を機械で測り、ほらこんなに酸性化してますよ,と発表したのでした。

建築を学ぶ人たちの中に入り込んで一番強烈だったのが,考える対象の中心が人であることでした。土木では自然というか国土というかそういったものです。大きさも人体スケールで建築が考える一方,土木は,小さくても車一台とかで、普通は高梁川とか,瀬戸内海とかそのレベルにまで引き上げられます。

言い換えると,建築の人たちは,人は建築で救われると本気で思い込んでる節があって,一方,土木の人は国土は土木で救われると本気で思って生活しています。

建築という言葉,これ、明治の初めに作られた造語で,Architectureの翻訳ということになっています。今ある建築学会も「造家学会」という表現で始めたようですが,伊東忠太さんという建築史の先生が「建築学会、がいいんじゃないか」と発案したそうです。土木という言葉も,明治の造語で,江戸時代までには「土工」「普請」などと呼ばれていました。英語ではCivil Engineeringといいますが、市民工学とか国土工学とかいうほうが、土木というよりもピンときます。

僕は大学の卒業論文プロテスタント教会堂の歴史について書きましたが,書き終わって分かったことは,建築で人は救われない,ということでした。それを友人の牧師に話したらそんなことは当たり前だ,と一蹴されましたが、突き詰めてすべての能力を注ぎ込んで書き終えた僕にとっては,良い収穫でした。

建築で人が救われると思っている人と,国土が土木で救われると思っている人がこの世の中にはいます。そういった両方を知っている僕は幸運かもしれないと,この間思いました。そうです、あの下津井の生家の窓から、近すぎて全体が見えない瀬戸大橋を眺めながら思ったのでした。