建築史至上主義

古いクルマに乗っていると税金が高くなるらしいというのは知っていたが、どうやら政府は旧車ファンを二段階で追い込むつもりらしい。つまりは、13年以上の車と18年以上の車の二段階方式で、大人の階段のーぼるーー、きみはもうオンボロなのうさあーー、じゃあるまいし、18歳になったら、もっとたくさん税金払ってね、それが大人の世界なのよ、タバコもお酒もまだダメだけど、18年経って結婚も出来るんだから、もっとお金よこしなさいよ、人生甘くはないのよ。ということらしい。
私の感覚はそんなに間違ってはいないと思うのだが、一つの車が世に存在してる間中、政府はその車を根拠にお金を巻き上げる仕組みなのだから、長年お努めを果たして来た車に対しては、あんたもご苦労さん、もうそろそろ、足腰くたびれてきただろうから、ここいらで、楽をさせてあげるよ、13年経ったら、1割引で、18年経ったら二割引ね。というのが、世の中の道理というものではないだろうか。
まあ、10歩譲ってその割高になった税金分が新しい車の割引につかわれ、延いては、自動車メーカーが潤い、回り回って将来的にユーザーにまでいいことがやってくるのなら、まあいい。しかし、メーカーの「内部留保」が現金ならばまだしも、そうではなく、借金二京円の国の金融商品になっていたりするもんだから、安倍首相が50兆のアメリカ国債を買うのと同じで、額面通りのお金が日本にあるわけではなく、子供がうれしがってゆっくり綿飴をたべているといつの間にかしぼんでいて大泣きするように、最初は大きく見えるがいつのまにかその金融商品は萎んでいて、ああ残念でした、これは金融力学の世界のことだから仕方ないのよね。お父さんもお母さんも悪くないのよ。あのね、世の中はそんなものなの、なんて言われるのが目に見えているので、18年以上の車にお世話になる身としては、なんとも、勘弁して欲しいものである。
さて、現代建築を志す学生なんかは、胆に銘じて欲しいが、一個人が一生懸命考えたものよりも、無限に近いひとのチェックを通って残って来たものの方が、より現実的な回答だというのが、学生時代から勤め人時代に至るまで、私が教わったことだった。学生時代では、よこで、コンペ、コンペといい、実際にあり得ないカタチの建物をせっせと書いていたものがいたが、それはそれで、手を動かす訓練として意味はあるのだが、どうやって建物が造られるのかも知らずに絵は書けまいと思うのだが、習字でいえば、紙の置き方、墨の作り方、筆の選び方、筆の運び方、強弱の付け方などなどのイロハについて、教えてもらわなければ、文字というのが書けないのと同じで、よくいうように絵に描いた餅ばかりでお腹を満たそうとしても土台無理な話なのである。
世界的にも特殊な状況である東京から発信される建築系メディアの作り方に問題があるのだが、一部のトップランナーは別として、現代建築だけが建築であるかのような虚像を雑誌メディアが造りだしてしまうことに第一に誤りがあり、第二に受け取る側に問題があり、自分はピンだと自負のあるものはいいが、その他大勢のものは、ピン以外、なのであり、つまりは、二流三流陣なのであるから、二流らしく世の中で生きながらえ、貢献していく技術の方が重要であり、多くの大衆が必要とする堅実な飴玉を作るべきで、虚像の綿飴はいつか萎んでしまうのである。
そう考えると、向上心を持って上を向いて歩くのは変わりはないが、室町以降から続いて戦争でプッツリ途切れてしまった日本の民家の系譜を紐解いて、真っ当な民家のしくみの抽出を始めてもいいし、今回私が取り組んだように、明治前期に盛んだった「擬洋風建築」から現代木造住宅へのヒントを得て、それを新築住宅に生かすのもまた美味である。

明治の大工たちは、よくいわれるように、いや村松さんや藤森さんたちが命名したように、見よう見まねで「洋風な」建物をこさえていったのであり、なんともいいがたいが、そこにうねるパワーというのは、並大抵のものではなく、自分が親方から教わった日本建築の作り方のセオリーからはかなり外れた、いや、意図して外した西欧建築の偽物を、偽物と自覚しつつ造っていったのであり、「洋風」ではなく「擬洋風」という命名はそこに味噌があるのであり、木造で如何に洋風に見せるのか、をテーマにした擬洋風建築から教わることはこれからも多いのだと、今回よく分かった次第である。
これらは、建築史の諸文献を読んだあと、ケネスフランプトンの本を読み、現代建築に真っ向勝負する人たちを尊敬しつつ横目に見て、でも私はこれをやると、建築史研究を援用して現代住宅に適用する方法であり、現場再現型もしくは、動態保存型の建築史研究とも言うべきで、江戸からポストモダンまでのスパンのものを対象に、現場において建築史研究を実践しているのであり、設計者の主観であることには代わりはないが、過去からの良質の贈り物を現代住宅に届けるもので、バランスさえ崩さなければ、自然なカタチでの定着が臨めるのである。それは現代建築のように一個人が考えるよりも、より広い範囲での了解が得られ、その積み重ねにより、一つのスタイルの形成へと至るのである。かつて古民家再生工房の先輩たちが一つのスタイルを確立したのは、そういう方法であり、今回「真っ当な民家」ではなく、「擬洋風建築」を援用した私も同じであり、古民家(再生工房)の先輩は否定するだろうが、私にいわせるといずれも建築史至上主義である。