弱きもの小さきものを重ねて

生まれ育った下津井には、明治時代からの建物が朽ちて崩れそうな状態で多数、放置されている。
日本の建物は、木で骨組みを組んで、土と紙で作っていくのが、常だった。木が豊富に有り、山も多いので、それが身近な素材だったのだろう。時間が経つと、この二枚の写真のようにだんだん朽ちて行って、木も含めて土に還って行く。


土や木という弱いものを重ねて行って、総合的に雨風に耐えうる建物を造る。日本の庶民の住まいというのは、そういう造りだし、材料は違えど、世界中どこででも、そういった作り方をしている。これは、地域に根ざした建築家たちが絶えず返るべき原点でもある。
たとえば、雨を避ける為には、確実に地面まで流れて行く作り方をしなくてはイケナイ。また、雨による腐れから木を守る為には、水が溜まらない構造にするべきである。こういった基本的な考え方を具現化するには先人の知恵を、敬意を持って拝借する場合が多い。

欧州のように、石を積んだり、レンガを積んだりするのと、日本のように弱い材料を重ねて行くやり方は、確かに違う行き方ではある。


しかし、石であろうと、レンガであろうと、手に取って、作業し易い大きさであることには、変わりなく、そういう視点で見ると、生活の営みというのは、身近な安価な材料を以て、つまり、弱きもの小さきものを重ねて行って、雨風に耐え、安心して眠れる住まいを造って行くという点では、世界で共通している。

ただここに至って、現代の住宅を造る際に、トタンは古くないからイケナイ。スレートもしかり。などという教条的な考え方を持って来ると、庶民の住まいを造るのに、余計な金がかかってしまうことにもなる。戦後の住宅生産構造で造りだされた耐久性の低い、時間経過に耐えられない材料ばかりに頼ってしまうのは、危険大ではあるが、そういった材料で補完しつつも、風景に馴染む建物をつくり続けること、地方に生きる私にとっては、先ず以てそういった態度で、また次の仕事に臨みたい。そう思いながら、生まれ故郷、下津井をドライブしてみた。


【塀のてっぺんに焼き杉板を斜めに貼った例】
てっぺんの焼いた杉板が腐れば、交換すればいいや、という考えで、大工の反対を押し切って、取り付けた。現在4年目。

【布で表札を作る例】
児島の地場産業で表札を造ってみた。家族構成が替わることを予想して、数パターンのプリントをしてもらった。家族構成が替わるのは、おそらく、風化して文字が読めなくなるスパンと同じくらいかと想定してトライした。