空白の時を超えて

最近、同じ話を何人かの人にしたので、勢い余ってここにも書く事にする。私の師匠である楢村徹さんなんかがやっている「古民家再生工房」の取り組みは、なかなか理解されにくい仕事だ。
ハウスメーカーが作るような新建材満載の住宅が嫌で、少々懐古趣味的・保守的な某氏Aからはこう言われるだろう。「自然素材はいいですねえ。」「ナチュラルでスローな感じでいいですねえ。」「やっぱり日本の家には瓦ですよねえ。」「いいですねえ、古い建物を保存するって素敵ですよね。」「こういうのを、現代和風って言うんですよね。」
一方、建築の専門家や建物の保存活動に熱心な某氏Bからはこういわれるだろう。「古い建物を直して、それでも建築家なの?」「独創性が無いよね。」「なんだか、昔の意匠ばかりを使ってるな。」「古民家に敬意を払いなさい。」「昔の建物をそんなに改造してハレンチな!」「なんでそんなに派手なんだ。」
こんな感じだ。とにかく、よく分からない輩が出て来た。という印象で受け止められたのは確かだ。いまだにその意見はあるが、そこは真似っこ大好きな日本人だから、「古民家再生工房」の真似っこ住宅が、いろいろと作られていて、ある程度の市民権を得つつあるというのが、「古民家再生工房」活動開始20年を経た時点での、ある意味での成果だと思う。「古民家再生工房」の地元である、この地域での真似っこ事例を挙げると、こんな工務店こんな工務店がある。

さて、タイトルの「空白の時」だが、何が空白かというと、戦後の住宅難の時に、大量に・短時間で・安く住宅を造る必要があって、それを国の体制がバックアップして、国家総動員で押し進めたものだから、日本の住宅は復興し、産業も潤ったのだが、その仕組みを、なぜか、今も受け継いで、その感覚で、住宅を造っている期間のことをさしている。そういう必要は、もう終わったはずなのに、だ。
昭和22年に設立された「大和ハウス」がその筆頭だが、彼らは彼らなりに、日本の住宅を造る為の体制をこの60年間余り、保ち続けてきて来た。社会全体が豊かになるに連れて、会社のあり方を見直して、それに対応しつつ、社会の需要に応えて来たその努力は素晴らしいと思う。
たしかに、ハウスメーカーが施工する住宅の割合は、全体の4割に満たないのだが、その作り方、というか、住宅の作られ方に注目すると、ハウスメーカー的に住宅が出来てしまう社会構造がかなりの部分で浸透してしまっている。外壁は規格寸法で予め作られた板状のパネルを繋ぎあわせて作るものだし、室内は石膏ボードに壁紙を貼って仕上げるものが多い。床は合板ばかりだし、木に見える幅木も実は印刷されたものだということはよくある話だ。そういうものが「家」であるとの、基本的な理解の上に取り組んでいると、住宅展示場以外の世界は無いものと勘違いしてしまう。既視感のあるサイディングやアスファルトシングル葺きの家は、違和感無く受け入れられているのが現状だ。そして、展示場の中の家でも、とても高価のなのに、その外にある家は超高価だ、と信じて止まない。

いまでは、巨大な産業になってしまった、国家的住宅難に端を発した住宅産業のしくみは、その仕組みの主体である彼ら自身も止めることが出来ず、今後も続いて行くだろうと思う。その辺りはもう、ミサワホームの社長に竹中平蔵の兄が座っていることからも、アメリカに負けた日本という敗戦国の現実を改めて噛み締めて、この大きな生産構造はすぐには壊れないことを直視してから、自分の机に向かうべきかなとも思う。

で、「古民家再生工房」の人たちや、僕のようなその一派の人達がどんな感覚でつくっているかというと、抗えないその巨大な仕組みというものが、実は無かったものだと考えて、つまり、日本の建物は室町からだんだんと建物らしくなって来て、明治に大成するのだが、その日本の建築の歴史が、戦争と住宅難に寄って、プッツリと分断されることなく、今日まで連綿と続いていたとしたら、一体どんな建物になっていただろうか、という視点で作ってるのだ。
これは、住宅以外では展開しにくい議論だが、住宅だからこそ、敢えて戦えるホットな舞台だと思っている。なんとかして、そういった思想で設計された建物の実物を素人に理解させようとして、作っているのが、僕の事務所兼自宅であり、その他の実作である。

そもそも、家を建てるということは、今の日本の若い人がやるには大変な事業である。特に値段が高すぎるのだ。本当は建てなくても、たくさんその辺にあるんだから、親と同居するなり、中古建物を購入するなりして、自分の居を構えればいいものを、あえて建てたい、という。本音を言うと、まともに土地から購入して建てるとすると、大体の人の資金力だと、「納屋」程度のものしかできない。では、その納屋レベルの資金でもって、いいものを作らないといけないというのが、僕らが置かれている状況なんだが、いろいろと豊かなものを知ってしまっている建築主諸氏には、その落差がなかなか伝わらない。
彼らの親世代といえば、いい木を使えば、いい家が出来る、程度にしか、住宅に対しての期待が無く、そういう家よりも、ハウスメーカーの造る家の方がすばらしいのだ、と考えている人も多い。文化的で現代的だと。いや、そういう前者のような、リジットな枠組みで住宅が語られるのは、日本の住宅の作り方が、何世代にも渡って、良いものが蓄積されて、今の大工さんたちに受け継がれているのだから、それはそれで素晴らしいことだと思っている、ほんとに。でも、その大工さんだけでは、「巨大な敵」に抗えないから、少々頭を使った設計屋さんである、僕らが、腕を振るうのである。大工さんにとっては、面倒くさい仕事なのは、分かっているが、技術的には「少々めんどくさいこと」をするだけで、いい家が出来るのだから、彼らもまんざらではないようだ。また、あんたの仕事がしたい、という大工さんも実際はいる。
僕ら設計屋が、「設計」という行為をすることで、どんなにか素敵になるのかというのは、大体のばあい、出来上がってみないと分らないが、いまのところ、全ての方に感謝されている。連戦連勝だ。いや、勝つのはあたり前なのだが、いかんせん、個人でしかその戦いを挑めないのが、設計屋の苦しいところなんだが、「古民家再生工房」は、そこを6人でハイスピードに蓄積を重ねて、色んな試みを重ねて、弟子である僕たち世代に、その遺産を与えてくださっている。

ということで、今後もその戦いは続く。抗えない巨大な敵は目の前に横たわっているが、あの手この手で、攻撃を仕掛けて、建築主諸氏を通して、「まいった」といわせるのが、目下の楽しみだ。そういば、昨日の現場でも、「まいった」という声が聞こえて来た。しめしめだ。