天皇と再生建築

大学院修士課程の頃に勉強していた土壁住宅のことを、後に指導教官が海外で発表したところ、アジアでもヨーロッパにおいても,「先進国のなかでも科学技術に長けている日本が、未だに住宅に土を塗っているのは、驚きだ。」という感想をもらったそうです。確かにそうかもしれません。土を住まいに塗るのは、人が建物を造り始めたときからしていることですから,土壁住宅に住む人は古代人である、と僕なりに大げさに言っておきます。
それにしても日本という国は,ここまで科学技術の力で豊かになっておきながら,未だに八百万の神を身近に感じつつ暮らしている奇妙な国です。国家とも呼べないような未成熟な組織の塊が、太陽をはじめとする自然崇拝の儀礼を利用して、属する人々の団結を強めて行ったように,今日の日本に置いても、いくらか薄まったとはいえ,その感覚は流れています。
最近のことですが、属しているキリスト教会で、日本を知ろうキャンペーン!とでも呼ぶべき勉強会が発足していて、日本でキリスト者が生活する際の諸問題を平らげようと精力的に活動しているのですが、そこで僕は大テーマである「天皇」を担当してしまって、ただ今調べているところです。網野善彦さんによると,天皇には二つの顔があるとのことでした。こんな解説でした。

天皇は二つの顔を持っている。それは、律令風・中国風の皇帝の顔と、未開な社会に生まれる神聖王的な顔で、天皇はこの二つの顔を最初から持っている。(網野善彦、『日本の歴史をよみなおす』、pp203-205、筑摩書房、1991)

建築デザインのブログに,唐突に天皇の話しが出てくるのは、かつて僕が野生の家と呼んだ住宅の延長に古民家の再生を位置づけるときに、日本国の成立*1、言い換えれば<天皇>の成立時に,自然信仰を残したまま大宝律令を打ち建てたことが重なって映ったのでした。野生の家にモダンデザインをどのように定着させるのか,今年もがんばります。それにしても、すごいタイトルです。コジツケといえば、そうかもしれませんが,日本人が造る住宅である以上、似た構造になっていても不思議ではありません。
三月に藤森照信さんの東大での最終講演を聞きに行きます。できれば今まで話していないことを期待しています。天皇とか、いいんじゃないでしょうか。

*1:日本とは,「ひのもと」という意味で、中国からみて太陽の上るところの国,という意味。遣唐使は七世紀の末に、唐の皇帝に対して、我が国の王は太陽の子、すなわち「日の御子」天皇である,と伝えています。