三つ子の魂、百まで。あるいは「建築系ラジオ」による訓練

もうすぐ5歳になる子と、1歳をこえて危なかしく歩き回る子を持つ親です。世の中には子供の教育をテクニカルに考える人も多くいて、そういう人に限って、早期教育に熱心で、幼児から英会話とか、僕には信じられないようなことを平気でさせている人もおられます。その昔、長男とは、朝早く起きて、二人で手をつないで散歩するというのを日課にしていた時期があって、もうすぐ次男にもそのコースを与えたいと思っています。10歳までが勝負だよ、と助言をくださる先輩もいて、長男の「なぜ?」「どうして?」の質問攻めに、いかに「逃げない大人」を徹底できるか、日々つとめているところです。最近知ったのですが、知性とか、心の豊かさなどは、前頭葉の一番先っちょ、額の裏にある前頭連合野というところで、その人間らしさが作られるらしく、しかも、それは、三歳までで完成されるようで、あのことわざの偉大さを僕は知りました。この三歳までの時期に「濃い人間関係、割り切りのつけられない複雑な人間的関係」を体験することで、後の人生の足固めができるようなんです。ちなみに、その前頭連合野には、画像情報が届かないそうで、ここに、小さい子にはテレビを見せてはいけない、という理屈の根拠があるようです。たとえ、「ベネッセ」の知育ビデオでもダメです。ベネッセくらいの会社ならば、そのくらいのことは知ってると思いますが、「大人の事情」で実行できないんでしょうね。このあたり、アートに対するベネッセの志向と似通ったものがあって興味深いです。

さて、ただいま気になっていることとしては、東大建築の助教アニリール・セルカン氏についての数々の疑惑問題があります。疑惑自体はわかってしまえば、バカバカしいのですが、どうしてここまで彼は生き延びることができたのか、ここまで延命させた周りの体制や人間の方に今は興味がいっているところです。もうすぐ、ワイドショーを騒がせる事件なので、興味ある方はこちらへどうぞ。そんな出来事が動いているなかで、以前も触れた「建築系ラジオ」のメンバーが、次の大テーマとして「セルカン問題」を取り上げるようで、地方のリスナーとしては期待して待っているところです。というのも、ツイッターや、2ちゃんねるを通して、「建築系ラジオ」が次期大テーマを準備する様がおぼろげながら伝わってきていて、それはあたかも編集会議の傍聴席に座っているかのごとくです。紙媒体の建築系雑誌には、学生時代ずいぶんとお世話になりましたが、あまりにもメインストリィームばかりを持ち上げすぎていて、これで育った学生が、日本全国に一流建築家の二流品三流品を作っているのも、無理ないなと僕なんかは思います。
そういう紙媒体の建築系雑誌が持つ負の面にくらべて、第三のメディアとして試行錯誤を繰り返している「建築系ラジオ」には、山田幸司さんが進める地方建築界盛り上げ隊のような直球スタンスもありますが、事象的にいえば、番組を聞けば(あたりまえですが)スピーカーの肉声が聞こえるし、先に書いた編集会議は筒抜けだしと、なんというか、人間らしさが際立っているし、コンテンツの作られていく過程がオープンにされて、その過程をオープンにすること自体が「建築系ラジオ」の特色だと、五十嵐太郎さんなんかは実験的に振る舞っているように僕には見えます。ここには、活字では伝えられない人間の振る舞いや態度がありますし、過程を公開してみせることで世の中が複雑に出来上がっていることを身を以て表現していることにもなります(実際、五十嵐太郎さん自身は建築学会の機関誌「建築雑誌」の編集委員長としての公的立場でセルカン問題に関わっています)。この「建築系ラジオ」によって、訓練されて世に出て行く学生は、きっとモノマネのように設計する人は減ってくれるだろうと、少し先を生きる僕は、そう期待しています。

そういえば、毎月楽しみにしていたFMくらしきの番組「ラジオ クラッシュジャパン」が金曜日の早い時間(19時からの一時間番組)に移ってしまい(以前は22:30からでした)、その時間帯に、家の仕事というか、子供の面倒を絶好調で見ている僕としては、最低でも遅い時間で再放送するとか、一番いいのは、ポッドキャストにするとか、コンテンツを聴者がもう一度聞けるチャンスを与えてもらえたらなと、願っています。ここまでして、聞きたい人がいるというローカル番組もあるんですよ、>他地域の方。で、赤星さん、そこの所なんとかならないでしょうか。