仙芳丸「山口仙吉と芳松親子」

せんよしまる、と読む。
倉敷市下津井という地域で,明治の終わりから、昭和の初めにかけて、活躍した船の名前で,僕の曾祖父、芳松よしまつとその父仙吉せんきちの名前をとって名付けたものです。祖父も父も叔父も同じ名前の船を持っていました。ちなみに僕は小さい頃、「センヨシの子」などと呼ばれていました。
彼ら3人が好んで付けたのはワケがあって,初代仙芳丸は、明治終わりの当時のこと、大阪へ魚を運ぶ漁場として、その鮮度で淡路に次いで、ナンバ−2の位置にいた下津井が、淡路と同じレベルに上がる契機となった船だったからです。
巨大消費地である大阪に魚をおろすには、穫れたものをすぐに運ばなくてはいけません。今ではエンジンで船を動かしますが、当時は櫓と帆です。スピードに限りがあり,いくらがんばっても、下津井からは前日に穫ったものを翌日の朝に運ぶのが精一杯です。
そこで、仙芳丸は他に先駆けて、エンジンを据えた船を造って,大阪へあっという間に魚を運んだそうです。その営業範囲は,瀬戸内海にとどまらず,南朝鮮に瀬戸内の魚を運び,帰りに缶詰めをいっぱい積んで帰ったなどとも聞きました。魚問屋ではなかったのですが、そんな動きをしていたということは、言ってみればアウトサイダー的な人だったようです。戦争に負けたことを境に朝鮮には行けず,朝鮮に所有していた土地も向こうの人にあげてきたようです。
これらの話,たびたび祖父から聞いていたのですが,もしやと思って、買い求めた郷土史家の角田直一氏(故人)の『風土記下津井』という本に、山口芳松のことが書かれていました。ちょっと、感慨深いものがありました。
僕が生まれ育った家は,明治39年築で、芳松さんが建てたものです。祖父は93歳です。近々,祖父に会いに行って芳松さんのことを聞こうと思います。
仙芳丸の話でした。

書籍購入
角田直一、『風土記下津井』、瀬戸内文化連盟、1957
西村佳哲、『自分の仕事をつくる』、晶文社、2003
楢村徹、『倉敷からの発信』、秋田書店、2008
ブルータスカーサ、2008年11月号、「淋派と民藝」特集